「フレグランスの恋」(中編異質恋愛小説)

(禁断の森・・・あなたは見聞きしたことを誰にも言ってはならない)

あなたは倒錯した純粋愛を
最後まで見守ることができるか。。。

(あらすじ)

山本真理亜は吉祥女子大の学生。真理亜と亜希子は学業のかたわらヌードモデルのアルバイトをしている。その後二人は同性で激しく愛し合うようになる。次の年は同じ大学院に通うことも約束する。誰にも止めることは出来ない。的場文也は亜希子の幼なじみで、今どきの女にとっては嫌われるタイプだ。何を考えているのか真理亜にはつかめない。本能で物事を進める彼は女の敵であることはたしかなようでもあった。文也はフリーのライターとしてアフガニスタンの戦地へ取材に赴く。身の安全は保障されていない。
本橋愛子は女性のモデル組合を運営している。(ヌードモデルとは限らない)
学校関係や作家・各クラブ同好会などさまざまなところにモデルの紹介をしている。
男子禁制の瀟洒な二十室のマンションを経営(清純寮という女子寮)しており、彼女達を受け入れている。
真理亜や亜希子は大学は別だが同じ清純寮の一室にそれぞれ居を構えている。
元婦警・岡本彩子と画家・沖田総児との出会いは最後まで真理亜達の心のなかに真実の愛を模索させることになる。彼らは強い絆で自由な愛のあり方を実践していたからだ。真理亜の突然の休みで大学のアトリエでは混乱する。真理亜のいない一日だけ、アミダくじで選ばれた明彦が代役をつとめる。その日は通常の授業ではなく無礼講の日となる。イレギュラーで、男のヌードモデルが誕生した。真理亜のポーズを狙ったニセ画学生たちは男女五人いたが、彼らは肩を落とす。本学の学生たちは仲間意識は余りない。見知らぬ学生がいたとしても研修か教授にいわれて宿題みたいなことをやってるとしか思っていない。二十人しかいないアトリエの中は安全地帯ではない。彼らは仕方なく明彦のモデルで習作するが次第にのめり込んでいく。彼の特異体質に目を奪われる。モデルの対象を明彦に鞍替えする学生もでてくる。
翌日、無理を押して真理亜は登校する。周期の最中で身体が思うように動かない。彼らにとっては、カリキュラムの最終日で授業の最後に樫田教授が作品を審査に来るからだ。ニセ学生達は教授の来るのを見計らって去っていく。真理亜はポーズの途中で失神する。女学生たちは介護をする。当然、男子学生たちはしばらく外に追いだされる。ポーズ台には紅い血液が溢れている。女学生たちが清掃用具を取りにいってる間に誰かが既にポーズ台の清掃を終らせていた。別棟から終始状況を見ていた野永千里は確かな顔を見ることは出来なかったが、事の終始をしっかり見ていた。だが、千里の口は貝のように堅くなっている。樫田教授は不可解な一枚の油絵を観て真相を見破る。千里は観念して女学生だけに告白する。
後日、真理亜たちがモデルとして通っているいる大学で事件が発生する。同じ清純寮に住んでいる前田アンナが構内でストーカーに襲われ死傷したのだ。彼女を助けようとした三島早苗もストーカーで軽傷を負っている。情報によると真理亜や亜希子もターゲットになっていたようだ。巨乳の二人は以前、某週刊誌で水着姿で表紙を飾った事もある。かなりの悩殺ポーズだったためその雑誌は即完し、増刷につぐ増刷を繰り返していた。二年も前の話だ。その彼女たちが大学でヌードモデルをやっているという噂がマニアの間で広まる。ニセ学生が増え続けついには事件を目の前にする。文也の友人で美大生の水沢明彦が彼女達を擁護しようとする。明彦の天真爛漫な性格は真理亜たちの心を少しずつ和らげていった。ストーカーと彼らとのバトルが始まる。
アンナを襲った犯人の裏には首謀者がいるという噂が広まる。主犯格は意外な人物で、世間は騒然とする。樫田教授は若いころからの性の倒錯者で女の犠牲を影で笑いそれを創作の唯一の糧としていた。教え子達は樫田の異様な世界観と幻想的なスタイルに惹かれていた。心の中は本性の奴隷と化していた。男女入り乱れての複数犯であったことも判明する。アンナが必死で生死の川を行き来している間彼らの体に異変が生じる。犯人の樫田ら男性達の人格や身体が女性化の一途を辿る。女性達の身体は男性化していく。不安になった彼らは錯乱する。自虐的になった彼らは真理亜と亜希子を襲う。明彦は亜紀子と真理亜のガードマンとして死力を尽くす。凶器で眼が不自由になった明彦はそれでも必死で犯人を取り押さえる。亜紀子と真理亜はかろうじて難を逃れる。明彦はその後、デザイン方面から身を引き、彫刻家として再起を賭ける。亜希子は次第に明彦に心を寄せる。文也が中東での取材中地雷に遭遇。無残な姿で帰国していた。意外と元気な表情に真理亜は安堵する。文筆業でしか生きられない文也は口で筆やパソコンに思いを馳せる。真理亜は彼を支えようと決心する。最後は異性への思いを互いに認めあうまでには至るのだが、真理亜と亜希子の愛はいっそう堅固なものとなる。

「フレグランスの恋人」

一、ファースト・ラブ
二、セカンド・ラブ
三、ニュー・フェイス
四、倒れた斜塔
五、倒錯者
六、ラベンダーカップル

<本 編>

一 ファースト・ラブ

雨あがりの朝陽は何となく気持が癒されるものだ。東の空にはシルバーグレーの雲が浮かんでいる。真理亜の気持に魅かれるように自在にくっついたり離れたり。かたちを変えて向かってくる。透き通ったイタリアンブルーの空が真理亜の全身に放射する。眼をこすりながらベッドから起きあがる。
今でも亜希子の香りがたまらなく切ない。行為の残像と余韻がまだ部屋の中を歩いている。亜希子が完璧に純潔であった証拠だ。真理亜だって同じだ。
思いきりフルヌードでサンルームに出て外を眺める。両手を力いっぱい横に伸ばして背のびをする。昨夜までは考えられなかったことだ。気持の中が亜希子によって解放され大胆になっている。新しい未知の世界が目の前に広がっている。
ケヤキで生い茂る井の頭公園があるから誰からも覗かれることもない。北欧調の椅子にゆったりと腰をかける。涼風が勢いよく豊かに波を打つ胸の谷間を通り抜ける。風が悪戯に変わった。真理亜の恥丘に向きを変えて襲ってくる。思わず目を閉じる。キューピット・ピンクのバスタオルで胸から膝を被う。たったいま、西荻窪の方角に虹の橋がかかったところだ。自然が演出したロードショウが始まっている。
(すてき・・・きれいよ。おはよう亜希子。もう起きた?あなたも上でみてる?たぶんきっと見てるよね・・・)
真理亜はいつものように朝食をとる。ほかの学生達はまだ起きていそうもない。亜希子もそうだが、学生とモデルの両立は難しい。
2LDKのリビングには、オーク調の丸テーブル、ハンス・ウェグナーのチェアー。
以前、デンマークへ家具デザインの修業に出かけた友人を訪ねていったことがある。その時に譲ってもらったものだ。シンプルであらゆる人間工学に基づいたコンセプトは使う人に安心と安堵感を育ませる。テーブルの上にはスクランブルエッグとトマト、レタス、グレープフルーツ、フランスパン、カフェイン抜きの珈琲というごく質素な食事である。 理想的な体調と体形の維持には注意を払わなければならない。少なくてもモデルをやっている間は。ハイテンションのある生活、裸身を視られるスリル感、そしてモデルとしての自覚がシンプルな日々を要求してくる。しかし、時期的に今は咽から手が出るくらい甘いものが欲しい。
『今日からは、ちょっときつくなるかも』
亜希子もそう言っていた。(でも、みんな待ってるから)
と真理亜は自覚しようと努力する。真理亜には弱気と多少の倦怠もあった。
二階のバルコニーからは、公園の周りを日の出前から散策する人々が映っている。夕刻の太陽が眼前の風景から消滅していく物寂しさとは違い、朝の陽だまりは、青い空をその放射の力によって人を輝かせる不思議さがある。ありきたりなその現象には人はあまり気にしないようでもある。人の気持ちの中を豊かにしていく早朝の散策の楽しさは味わうだけでも生きている実感がする。

昨夜の亜希子とは初体験であったが、その充実感は日毎に強くなっていく。
たしかに亜希子はいつの間にか異常に燃えていた。互いに洗礼しあったというのに真理亜はしっかりと彼女のしもべとなっていた。
二人は清らかなスイート・ゾーンに迷いこんでしまっていたのだ。誰も入ることが出来ない珠玉の愛は必ず存在しているはずだ。真理亜はそう信じていた。
「真理亜。やっぱりわたし、こわい・・・」「わたしもよ、亜紀子・・・」
「やっぱり、よそうか・・・」
「うん、やっぱりよそう。いけないわ」
遠慮をする言葉の裏には行為の期待が込められている。
「でも・・・」
「でもなに?」
「なにって・・・」
亜希子の眼から涙が落ちる。真理亜が亜紀子をやわらかく抱擁する。部屋には腰まで伸びた二人のロングヘアーが妖しく映る。亜希子の長い栗色の髪、真理亜の黒い髪。
「おねだりさんね」
真理亜は優しく感じ過ぎる亜希子の白い首筋に顔をうずめる。
「ごめんね・・・」
亜希子は不安とバラ色の未知が交錯して迷っている様子だ。誰かがきっかけをつくってあげなければ。真理亜だって同じだ。
「じゃ、一緒に脱ぎましょ・・・」
真理亜が先導する。
「そうして・・・・・」
「亜希子。ブラ外して・・・・」
「大きすぎる。特注?これ。なかなか外れないわね。じゃぁ、先にわたしの方を外して。今日、胸がとてもきついの」
真理亜は逆に亜希子のブラジャーを先に外そうとする。二人は巨大な双丘という似通った特異体形を共有している。亜希子のブラジャーもきつくて背後のフックが外れない。真理亜の眼の前では、彼女の巨大な胸の塊が激しく揺れている。
男たちの情欲を掻き立てるのは目に見えている。だれにも渡すものかと真理亜のなかで警護心が働いている。(お互いさま・・・)と亜希子も笑みを浮かべている。顔立ちは違うが、身丈と重さと体型では影として見れば瓜二つに見える。
「ごめんね。こっちもやっぱり無理?」
「ううん。だいじょぶ。もうすぐ・・・」
生理直前の亜希子と真理亜の胸はたがいにはち切れそうな勢いで動線をつくる。
亜希子は、真理亜の動作で生じる乳首への摩擦が身体の中心に信号を送るのを感じていた。真理亜はからだの振動で直感した。
「だめ、無理だわ。どうしよう・・・・指が疲れた。少し休ませて・・・」
「大きくてごめん・・・」
「謝ることなんかないの・・・。わたしのも外れそうもない。女のシンボルなんだから。しかたないわ・・・」
真理亜は半透明の白いブラジャーに覆われた亜希子の胸に顔を埋める。亜希子の胸の双丘は真理亜の顔を全て覆い尽くすほどだ。
「なぜ、こんなに温かいの?
あっ、心臓の音。速くなってる・・・」
亜希子の息遣いが荒々しくなってくるのが真理亜にはわかった。
「あなたのも・・・・」
亜希子も同じことを真理亜にほどこす。
お互いに誇れるのはまだ、汚らわしい男達にまだ心身を許していないことだ。たとえこの身の全てが表に披露されようとも。
「真理亜、なんか変な気持に・・・・」
「わたしも・・・・」
「どうしたらいいの?」
「そうね。どうしたら・・・・」
互いにまだ、下着は付けたままだ。この先どうしたものかと戸惑う。
「ここ・・・・・・」
亜希子は恥ずかしそうにその部所に指を向けた。真理亜はそれに呼応して亜希子の大腿部の付け根に接吻をする。レモンの香りが真理亜を勢いづける。
「あと、ここも・・・」
亜希子は少しずつ大胆になってくる。
真理亜は特注ブラジャーの先端に人さし指を突いた。
「くすぐったい。気持いいわ。どうしよう」「わたしにも、同じことして・・・・」
巨乳同士が互いに犯され合う。
突然二人のかたくななブラジャーが激しい動きで破裂した。気高い胸の山脈が激しくぶつかり合う。背中の留め金が勢い良く曇りガラスに衝突した。
二人の閉じ込められていた巨大な乳房が解放された。紅みをおびたジョーンブリアンの互いの美しい肢体があらわになった。
「亜紀子。きれい。すごいわ・・・」
「あなたもよ。下も脱ぎましょ・・・」
「はやく・・・口に入れて・・・」
真理亜は彼女の乳首を口に含んだ。舌でその先端を刺激した。
「もう、ダメ・・・」
舌の回転速度が最高値に達した。亜希子は右手を恥丘に向け、中指が落下した。その大地を掘り起こそうとしている。
「場所を変えて・・・・」
真理亜は巨大な双丘から、身体の中心に矛先を変えた。
「これでいい?」
「うん・・・」
「どう?」
「よくわからないわ」
真理亜はその森の奥に紅い生き物を視た。亜希子の真実。湧き水があった。
「あ、お小水。だいじょぶ?
白く濁ってるわ・・・・・」
亜希子は唇まで届く乳房を両手で呼び寄せている。先端を自分で軽くかんだ。彼女の声が弾んだ。
「ねえ。何とかして・・・・」
真理亜は彼女のデルタエリアを急襲した。その甘酸っぱい愛液を汲水のポンプのよように容赦なく吸い上げている。
真理亜のクリトリスが刺激を要求した。自分のものはまだ鏡でしか見たことがない。ピュアで決して汚れのあってはならない女同士の聖域。
真理亜は亜希子に初めてそれを捧げた。亜希子は真理亜のデルタエリアに反撃に出た。素晴らしいピンポイント攻撃だ。オルガムスとエクスタシーが五分五分になる。
お互い初めての行為は確かに純粋な愛に向かっている。インモラルなことはわかってはいたがこの世界には誰も入ることは出来ない。二人は強じんな心でリンクしあっている。 すでに二時間がすぎる。意識は普通の女子大生に戻りつつあった。
「わたしのシャネルのブラと下着、あなたとサイズあうはず。そこにあるわ・・・」
「ありがとう・・・」
二人はまた激しく抱擁した。
「もう、一緒よ・・」
「そう、一緒・・・」
唇をまたやわらかく奪い合う。
「今日もう帰るわね。あしたまでモデルのバイト。杉並の女子大学よ。女の子だけの。心配しないで。彼女達もやさしいから。生理がもうすぐはじまるからタイミングもジャストみたい。今度携帯にメールくれる?あとお部屋のキーもね・・・・・」
「わかったわ。はい、これ。わたしは西のほうよ。最近変な事件があって。あんまり気がすすまない。あなたも以前いったことがあるわ。知ってるでしょ国分寺のH美術大学。最近あなたと周期が似てるわね。きっとあの日も同じよ。たぶん。昨日あたりから腰の辺りが張ってきた感じなの・・・・」
「そうかも知れないわ。じゃ。あしたまた。部屋にもどるわ・・・」
「静かにね。愛子さんに気づかれない様に」
「OK・・・・・」
余韻の残る別れのあとは寂しさが倍化するものだ。真理亜にとって。亜希子にも。
まだ起きたばかりだというのにまた睡魔が真理亜を襲ってきた。水彩に似た七色の虹を目にしながら。その虹が今この部屋に無数に架かってくれたのならいいのにと夢想する。憂える胸の中をすこしは慰めてくれるようなものが欲しかったからだ。リビングルームのフレグランスオリーブの香りが公園から小鳥たちを誘っている。微香が聖女の芳紀な体にまとわりついてくる。
(今日はやめようかな。気もすすまないし。気分転換も必要だ。あの子たちには悪いけど。そうだ、銀ブラにでもいくか。順子を誘おう・・・。決まりだ)
一瞬、亜希子の幻影が襲う。腰のくびきまで伸びた黒みがかったヴィベエル・ブラウンの髪。引き締まった細身の体形。極度に発達した上品な胸部。ダ・ヴィンチの〈岩窟の聖母〉を思い出す。その画面の右下に聖母に指をさして微笑んでいる女がいる。美大の学生たちはみんな真理亜と亜希子にとても良く似ているといってくれる。亜希子とは学生のアイドルみたいなものだ。以前二人で雑誌の表紙になったこともある。
ただ、予期していないことが起ってしまった。スタイルの良い女子大生が超ビキニの悩殺ポーズで世間の話題になる。その男性雑誌は即日完売となり増刷に増刷を重ね、いまでもバックナンバーを狙うマニアがいるということだ。
ふたりはそんなこととも知らず、何気なくモデルのアルバイトを続けていたのだ。ヌードになったのはこの春からだ。
ニセ学生が美大のアトリエに潜り込む事件が後を絶たない。ストーカーもどきの学生もいる。事務局は対応に苦慮している。
二年前、真理亜と亜希子は本橋愛子と知りあい、清純寮に住むことになった。
二人は安心した。愛子はモデル組合の元締めも兼ねていたからだ。仕事の選別は自由にできる。一時期二人で別の大学で着衣モデルをしていたこともある。
感じやすい首筋・乳房・ふくら脛・膝・太腿・首筋・お尻・腰。そして白い脚線。百六十の身丈のわりには以外と少ない体の重み。真理亜と亜希子の共通した体つき。
真理亜の異常に発育した胸の隆起と乳首の先端は僅かな身の動きで衣との摩擦を生む。歓喜と絶頂の空間が彩られた。体の中心に棲むその奥底の生き物は指令を受ける。
容赦のないオナニスティックの嵐が向かってくる。真理亜の理性では、もはや食い止めることは不可能だ。(あっ、だめだわ)
声が出ないように指を懸命にくわえる。なぜか涙が流れてくる。何かが体のなかを高速で駆け抜けた。誰ものぞくことの出来ない、いつくしみの森。誰もが立ち入ることの出来ないグレート・バリアだ。これまではあまりにもストイックな日々を過ごしてきていたことが分かる。潔癖すぎる自分にも疑念を抱いている。でも自分を憎むわけにもいかない。とにかく今は亜希子だけしか見えないのだ。(あぁ、亜希子に逢いたい。抱かれたい。結ばれたい。一体になりたい・・・)
モーツァルトのケッヘル626番の響きは無意識に真理亜の指を魔の手に変えていた。確かにレクイエムの音は本能を発揮させる力があるらしい。カレンダーの二日後のところには桜花の印が描かれている。
生理前の体の火照りはとどまるところを知らない。自身の手でいつもより弾みを増した白桃の胸を抱える。
真理亜はその紅い乳房の先端を紅色の口唇で優しく慰めた。体の局部から白い半透明の聖液がしたたり落ちる。その液を中指で掬う。真理亜は口で舐め回した。亜希子への想いが空中に飛びまわる。両方の手はすでにその森の奥にしのびよっていた。
真理亜は虹色の照射に見守られている。またしばらくのあいだ微睡をもらった。十二歳に始まった紅い衝撃から、もう十度目の秋を迎えている。
この一か月ごとに襲ってくる、体の中をひた走るあの激痛。女である悦びをも与えてくれるときでもある。確かに男達への優越感はなくはない。
落ち込んでいる場合ではない。
でも、正直言ってわずらわしく思える時が多い。男たちにもこの苦しみを植えつけてやりたいとおもうのは真理亜だけではない。亜希子も順子も千里さんだって心の中ではきっとそう感じてるはずだ。男たちは女から生まれる前から必然的に奴隷になる資格をそなえている。
女がいないとこの世では生きてはいけないのだ。彼らには女の苦しみのひとつでも所有する義務がある。憲法でも作ってみようか。いつも真理亜はそう思っている。
携帯電話の呼び出し音が真理亜を諌めた。その番号は亜希子しか知らないはずだ。真理亜は画面いっぱいに出てきた怖い女寮長に驚く。若いときは案外奇麗だったのかも。コンテストで代表になったぐらいだから・・と時折褒めてみたくもなる。
少し老いてもいたずら好きは直りそうもない。橋本愛子であった。
(忘れてた。寮長にも緊急用に教えていたんだっけ。教えなければよかった。)
真理亜は反省する。亜希子は早く出ていったらしい。
「真理亜さん、真理亜さん、お友達からお電話よ。それに、ほら支度の時間。ほかの子たちはもうお済みになったのよ。はやくいらっしゃい。みんなまっているけどどうするの?・・・・・」
「ゴメンナサイ。私、今日パスするわ。先に行ってて。部屋の電話につないでくださる」
一日に十人程はモデルの仕事がある。多いときは総勢二十人ともなる。
(わたしって、ばかよね。何考えているんでだろ。今日亜希子がまた来るじゃない、そうでしょ真理亜くん。やっぱり、あのフレグランスオリーブのせいだ・・・)
真理亜は吉祥女子大学の文学部で四年目の秋を迎えている。
卒論ももう少しで終わりそうなものだが、どうしてもあと一歩の詰めが足りない。フランス革命前夜のマリー・アントワネット妃の相対的考察。
(たしか宮田教授もアドバイスしていってたっけ。危なっかしい先生だけど。本音は言ってくれるし信頼はできる。いまのところ。名物先生でもあるし。亜希子は午前中バイトで、午後から三田の大学だから今日は遅いかしら。ゼミなんて蹴っちゃえばいいのに)
亜希子と同じ大学院に進む審査もあるから手は抜けないのだ。試験もきびしい。
化粧室の円弧を描いた鏡の向こうでは、微睡に誘惑されていた顔とは違い、清純で豊かな表情に変貌している。
(これが、いつものわたし・・・・。こら、いつまで見取れてるの。電話。電話よ。早く出てあげなさい。ちょっと、でもちょっとお疲れ気味だ。出たくないな)
電話の相手は察しがついた。どうせ文也だろう。今でも彼への苛立ちが奥底にあるような気もする。生理的に。どうしても子宮が受付けない。
「もしもし、山本・・・・」
「よ。真理亜ちゃん、俺。文也」
的場文也。ノー天気な性格はあいかわらずだ。三つ年上の兄貴風を装っているが、どちらかというと出来の悪い無鉄砲で無頓着な弟だ。
大手の外資系広告代理店に就職したが絵を諦めきれず、わずか一年で退社。その後アルバイトをしながら美大に入り直す。教授とケンカしてわずか三ヶ月で退学。公募展への応募や二人展を数回開く。しかし美術の世界はきびしいところだ。
飽きっぽい文也はある日突然自分に限界を感じたのか、その世界からは足を洗い、今度はフリーのライターになる。今はうまくいっているようだが。
(でも、あなたへの興味なんかなくなっていたのよ。文也君がもっと繊細で優しかったら良かったのにね。あなたは私には苦手なタイプ。残念だったわ・・・・)
真理亜はいつも無表情と健気さを装うのを好む。その裏には男を操る爽快感があったからだ。(あなたへの感情など最初からなかったの。ごめんね。女の本当の怖さ、あなたなんか知らないでしょうね。あの時、強引に私を求めさえしなければよかったのにね。繊細な女の心も読めないなんて失格よ。とても、いま物書きだなんて笑ってしまう・・・)
「何かしら?もう電話はしないという約束だったはずね」
「いま、カブールに来てるんだ」
「え、カブール?でもいま大変なんじゃ。どのくらい行ってるの?」
「もう半年になる。アメリカさんたちの攻撃でみんなあんまり眠れないよ。婦人や子供たち、お年寄りがかわいそうだ。黙っててゴメン。こっちへ来るときにだれにも言ってなかったから。亜希子ちゃんにもよろしくと言っておいてくれないか・・・」
「あなたって人は・・・」
亜希子は文也の幼なじみで大学も同じだ。真理亜と亜希子は有名な外資系航空会社のイメージキャラクターにもなったことがある。文也がまだ広告代理店にいた時だ。文也の強引な企画に駆り出される。企業広告のポスターとイメージビデオは非売品であったが、航空会社に問い合わせが殺到する。旅行会社とのタイアップも順調で売り上げも倍増していった。企業サイドからすればねがってもない企画の成功に酔いしれるのは分かっているが、その後続々と彼女達に強行なスケジュールが入る。その後文也は米国人の女性上司との折合いが悪くなり退社する。
二人とも懲りたのか断りの電話を入れる。会社からの無言電話が半年続いた。橋本愛子は駆け込み寺の住職みたいなものだ。
文也には恩はなくはない。真理亜は文也がそれまで付きあった男たちとはちょっと毛並みの違う奴としかみていない。悪く言えば余りにもガサツなのだ。女性にはもてるわけがない。女っ気が全くないのだ。
女の心理も理解しようともしない。自分勝手なのが玉に傷。女好きの癖は直りそうもないし、本音も言い過ぎる。
裏の顔がないのには時折感心したりもする。正義感も案外弱くない。ただ、亜希子との巡り合わせは文也のお陰だからあまり無視するわけにもいかない。
大学一年のとき真理亜は偶然銀座の画廊で亜希子と出会う。
文也が友人と二人展の打ち上げパーティーをしている時だ。なんとなく文也とは茶飲み友達になる。
交際という大げさなものではない。三つ年上のわがままな兄貴という感じだ。
よく考えてみると真理亜の方が積極的だったのかもしれない。ある意味ではそんな感じがする。
「亜希子は大丈夫よ。心配ないわ」
「じゃな・・・」
「あの・・・」
文也の突飛な行動はいつものことだ。後のことを考えない性格は前のままだ。
受話器を置いた亜希子は機嫌を損ねた。
愛子もそばで気を使う。
真理亜の身体の中を激痛が走った。あの痛みではない。これまでの二重生活で身体に疲れが出始めていたからだ。周期的な生理も目前だ。想像するのも嫌になる。
後期から学生たちは裸婦の実技や制作で教授の評価が厳しくなっていく。
要求されるポーズの型や時間も長くなる。 アルバイトのつもりが今では、朝から夕方までのフルタイムと化していた。
本業である自分の卒論も控えているし。あせってしまう。体調の方も以前からの持病である夢想病も激しくなる。
身体のなかに増殖されていく自分に少しずつ気付き始めてもいる。真理亜は他人には絶対知られたくない性癖が現れ始めていた。
亜希子への想いは知らず知らずに昇華されていく。

二 セカンド・ラブ

その日真理亜は急きょ休むことにした。
大学に電話を入れる。同じ寮の三階にいる越田順子にも都合を聞く。
東大の文一で三回生をやっている。すでに二年の時司法試験を突破している。とりあえず今は気楽だ。彼女はいま例の周期でモデルの仕事は一週休んでいる。
「順子。今日バイトあるの?」
「いえ、ないですよ。本郷の事務局には行くけど・・・・」
「銀座にいかない?」
「山本さん、今日は?」
「休むわ。いっしょにいこう・・・」
「麻生先輩はたしか三田で四時までゼミだとか。どこかで落ち合ってもいいですよ」
「そうね。じゃ、三人てことね。亜希子と一緒に帰ってこれるものね。門限には間に合いそうだし」
「決まり・・・」
真理亜と順子は午後吉祥寺から中央線に乗る。二人は乗客に凝視される。雑誌の影響はバカにはできない。
亜希子がゼミには出席してないことが分かり、順子と画廊廻りをしたあと食事をする。
OLたちのはつらつとした表情が銀座に帰ってきているようだ。たしか亜希子も言っていた。
夕刻、真理亜は亜希子に会えぬまま順子と銀座でアルコールを口にする。順子は父親のカードでどう?と無理強いをする。早慶大学の学生にもしきりに声をかけられる。
七丁目の中ほどにあるビアホールは彼らのたまり場となっている。参考書や論文に目を通す学生もいる。
真理亜と亜希子が一緒にいたらその店はもっと華やかになっていただろう。店の女子学生の間からはジェラシーの視線が入り乱れている。(みんな大げさなのよね・・・・)
真理亜に不安と予感がよぎった。
夜も遅いので二人は駆け足で東京駅から中央線の快速電車に飛び乗る。真理亜と順子は間違えて空いていたシルバーシートに座ってしまう。
車内は満員だったので他の乗客の視線が集中する。
中野駅で大柄の老婦人が乗ってきた。
八頭身のナイスプロポーションだ。
えー、うそ・・・と二人は内心嫉妬している。順子はどうぞ・・・と席を譲ろうとしている。だが、どうみても見た目は五十歳くらいにしか見えない。二人とも婦人の派手なペパーミントとローズピンクのドレスに惑わされている。キャロット・オレンジのスカーフが眩しくながれる。
婦人が不機嫌そうに真理亜の前に立っている。しつこく席を譲ろうとするが、その婦人は、老人への気遣いなんてもうしないことよ。もっと強く逞しくと叱咤しなきゃだめよ。病気は別だけど、弱々しい老人なんか相手にしちゃぁダメ。と逆に叱られてしまう。
しばらくして老婦人の息遣いが少し荒くなていた。たしかに。しきりに片手で豊かな胸を押えている。
なんとなく真理亜も自分の胸の谷間を隠そうとするが、順子が隠しきれないから無理よと言う。婦人が具合でも悪いのか心配する。その時婦人の後ろからギャーという男の悲鳴が聞こえた。婦人は後ろの男の靴を思いきり踏み、同時に指で鋭く股間を蹴っていたのだ。婦人の手は粘着質の白い液体で濡れていた。男のものだろうと婦人はいう。
「この痴漢野郎。外に出ろ・・・」
豊満なその老婦人は元婦警といった。凄みがある。まわりの乗客も協力して二人の男を取り押さえる。
次の駅が来るまでまだ間があった。元婦警はその男から事情を聞いている。二十歳代の学生と四十歳代のサラリーマン風の男だ。
真理亜と順子は恐る恐るその男達の風貌をみる。たしかビアホールにいたと記憶力のよい順子がいう。二人は目をそらす。
元婦警が真理亜と順子に注意をうながす。「どうしようもないね。いまどきの日本男児は。なに考えてんだろうね。びしょ濡れじゃない。あなたたちもあなたたちよ・・・」
「はあ・・・何がですか?」
「わからない?」
「分かりません・・・・」
「あの子たちは、ずっとあなたたちを狙っていたのよ。ちゃんと白状させたわ。目を付けられていたわけだ」
「怖いわ・・・」
吉祥寺の駅で警察官が男二人を引き取りに来る。
二人はしばらく参考人としてその元婦警と交番で話し込んだ。
「あの・・・・」
「なに?・・・」
「なにもお話することなんか・・・」
「あるわよ・・・」
「・・・・・・」
「心配しないで・・・すぐ終わるから」
二人はやっぱり心配する。
「あなたたち何処に住んでるの?」
「公園の向こうの女子寮で・・・」
「そう・・・。知ってるわ」
「で、何処の学生さん?」
「それは・・・・」
「いいわよ。それ以上聞かない。それにしてもさっきは、スカッとしたわ。現行犯だものね。びっくりしたでしょ?」
「はい、まぁ・・・・」
真理亜と順子は顔をこわ張らせて相づちを打つ。あまりの緊迫感だったからだ。
「あの子たちは、あなたたちもターゲットだったのよ。きっと・・・」
「あなたたちも・・・。じゃ、他にも被害になられた方いらっしゃったんですか?」
その元婦警は指を自分に向ける。
二人は苦笑しながら少し納得する。真理亜からみればそのグラマラスな婦人は老いているとはいえ、全ての男たちから視姦される資格を持っていた。女からみれば彼らを奈落の底に突き落としてくれる頼もしさがある。
ある男はその元婦警の豊かな胸を後ろから揉み、もう一人の男は尻をなで回す。電車の揺れと共に彼らの眼前で老婦人の巨大な白い胸が波を打つ。
男たちは自身の股間を必死で押さえる。卑猥さを想うだけで液が溢れてしまっていたからだ。老婦人は始めのうちは彼らの思う様に任せていた。いわゆるおとりみたいなもので彼らをしばらく泳がせている。
男たちは彼女の豊満な肢体と胸の谷間を強烈な視姦で襲っていたが、我慢しきれずに行動に及んだ模様だ。元婦警も老婦人とはいえ年齢不詳風の美女だ。実際に少しは女として感じていたかどうかは分からない。
男たちにまだ餌食にされるという女としての秘かな陶酔感はあったかもしれない。いやあったはずだ。瞬間だが。それで元婦警が、(あなたたちも)
という言い方になったのだろう。若い人へのジェラシーも態度にはあらわれている。
シルバーシートに座っていた真理亜と順子は同時に、彼らの視姦の対象になっていたという。老婦人は本命ではなかった様だ。途中の駅で元婦警が乗って来た。彼女はとっさに直感していた。
真理亜たちを守るために犠牲?になっていたのだ。元婦警は七十代半ばの利発な老婦人だが、愛子の風貌をも思い起こさせる。体型はかなり違うが。意外と美形なのだ。
男のストイシズムを破壊させるのには余りある妖艶さだ。美しさには年齢は関係ないということだ。
真理亜と順子は彼女をあこがれの目で見ている。
「要するにあなたたちは目立ちすぎるのよ」「えーっ。何が・・・・」
「ここ・・・」
婦人は両手で自分の胸をつかんだ。
「それと、ここ・・・・」
今度は太ももの方を指でさす。
「あの子たちには、刺激がありすぎたのよ。胸の谷間は見えないようにすること。ミニスカートはよく状況を見て。服装はすこしガードを固めて・・・」
「気をつけます・・・」
二人は平身低頭で礼を言う。
「そこまで送るわ。でも、ま、まだいいほうかもね。愛子さんの寮だったわね。元気でやってる?」
「ええ。でも、お知り合いですか?」
「女学校時代のね。頼もしい人でしょ?」
「そう・・・・」
「それに面白いでしょ。たまには花束でも差し上げて。喜ぶわよ」
七分ほどで清純寮に着いた。
「いま、こういう事してるのよ」
二人は名前のない名刺を渡された。
中野の空手道場で教えているらしい。
「今度お暇だったら、見にいらっしゃい」
「ありがとうございます」
「愛子さんにも言っておくから・・・」
「あ、ここです・・・」
「じゃあ、これからは気をつけるのよ」
老婦人の携帯に着信メロディーがはいる。 画面には人の顔が映っている。二人はたぶんお孫さんか家族の者と想像する。懸命に相手と話しながら元婦警は夜道を足早に駈けていく。住まいは公園の近くらしい。
「名前聞くの忘れちゃった・・・」
「そうね・・・。でも携帯の番号が・・・」「ただいま・・・」
エントランスのセキュリティーホンに暗証番号を入力する。
怖い女寮長が開けてくれる。
門限にはタッチの差で間に合ったらしい。「遅かったじゃない・・・」
「ごめんなさい。電車が遅れちゃって」
「うそおっしゃい。二人ともここにお座りなさい・・・・」
「・・・・・・」
女寮長は絶大な力を持っているのだ。彼女たちを預かっているわけだし、何かあったら大変だとくどくどと説教をする。真理亜と順子は正直にいう。偶然にも愛子は婦人から電話連絡で事の終始を当につかんでいたのだ。「あなたたちのプライバシーについては一切関知しないわ。でも、それとこれとは別よ」 愛子のトーンが穏やかになってくる。笑みを浮かべ始めた。
「なんですか?」
「いえ、なんでも・・・」
「ひとつ聞いていいですか?」
「いいわよ」
「あの元婦警さんは・・・・」
「あぁ。あの人ね」
「お知り合いと言ってましたが・・・」
「そう。女学校時代からのね・・・」
「それじゃ、いまでも」
「知らなかった?
あの人もうちの専属のモデルなのよ」
「え、うそー・・・」
二人は口を開けたままだ
「いま私と同じだから七十五歳。みえないでしょ?そんなには」
「みえません・・」
「詳しいことは今度ね。
はやくお部屋に戻りなさい・・・」
「おやすみ・・・」
たしかに愛子は日常は一切プライベートに踏み込んではこない。男に対して不信感があるだけだ。一緒に住んでいる女学生たちにはわかる。だが、基本的なマナーに対しては厳しい。親の方は安心するわけだ。
寝室をのぞくと、誰かががベッドの中にいた。ゼミを休んで帰っていたのだ。三階の自分の部屋では落ち着かなかったのだろう。
まぎれもなくフレグランスオリーブの香りは聖女たちを見知らぬ世界へ招待していた。それは悪夢なのか薔薇色の夢の中なのか。
亜希子は半裸で真理亜のベッドでぐっすりと寝ていた。しばらくそっとしてあげようと真理亜は先にシャワーを浴びる。
時折、うたた寝を繰り返す。夢を見てるのだろうと真理亜は察した。

夢の中では亜希子は七色に輝くやわらかな絨毯の雲に乗っていた。ディズニーの描画の世界には入り込んだような感覚で、島の風景を見ている自分が見えていた。
そこはある小さな独立した楽園のようでもあった。いつの間にか小高い丘の上に立っている。立ちすくんでいるところは、島の端の方である。
ダリやワイエスの絵に似た世界がそこにはあった。亜希子は至るところで清楚な妖気が周りに漂っているのを感じた。
島の両側には白桃色の渓谷が、芳香な清水を湧き出している。
その突き当たりには新緑の森があり、岩山の中には赤い生物が潜んでいる。亜希子は流れ出る白い激流に眼を奪われている。
そこを上り詰めていくと、広い扇状地のような草原に出ていた。その草原からは巨大な二つの山が見えている。頂きには赤くて円形状の建物がピンクの絨毯を敷き詰めてそびえ立っていた。
その建物は青白い淑音を奏でていて、山の麓まで湧水を不規則に流下させている。
亜希子は、その大地の中からの甘美なざわめきを耳にしていた。山の向こう側にはこのゾーンを支配する強じんな女神が住んでいるという伝説を信じている。
何億年という遥か昔イグアノドンのDNAの一部からすでに譲り受けていたような気もしていた。
亜希子はその征服者の存在を確かめてみたいという焦燥の想いに駆られている。
亜希子は早速その地を目指した。最初のなだらかな渓谷は何とか越えることができそうだった。そこからは起伏のある山脈がジャングル・グリーンの森で支配されている。
途中で道に迷ったらしい。亜希子は食糧は持ち合わせていない。喉の乾きがすこしずつ限界に近づいてくるのを感じている。少し歩いた。音が聞こえてくる。ローズウッドの岩山が叫んでいるように見えた。
そっと覗いてみた。その柔らかな塊は縦に長い菱形状でできている。大人が三人はいれる程の穴が二つほど並んでいて、中央上部には大きな生き物のような軟体動物が優しそうに亜希子をとらえた。
そのアメーバ状の生き物は高貴な舞いを誇示している。亜希子は歩けなくなるほど喉が乾いていた。デッドロック状態になった。
やっとその軟体動物からでている半透明の白い水をむさぼる。量が足りないので亜希子は再度それを手にとり舐め回しながら吸い尽くす。突然、芳香が周りの風景を変えた。
大地が揺れ動く。岩漿の響きが空のかなたへ翔ぶ。
振動がおさまった。亜希子はようやくそのエリアを通り抜ける。
やっと野原にでる。広い庭園がある。そこでは若くて美しいシスターたちがいた。白人・黒人・日本人・中東人。多くの子供たちと遊んでいる光景を目にしていた。誰もが大きな帽子を纏っている。
彼女らの顔の判別はできそうにもない。シスターたちは子供たちがお腹がすいたというので、汚れのない豊かな白い胸をあらわにして、甘い香りのする緋色の乳頭を淑やかにくわえさせていた。
その栄養をもらった子供たちの体内。確かに流れ出ていくのがエックス線写真のように鮮明に見える。
亜希子はその養分が少しずつ人間の形になっていくのをじっとみていた。
そのかたちは真理亜の姿に変身していた。時間が激しく曲がって回りに回る。
『もういい加減にしてよ。なんなのこれは。夢なのかしら?真理亜、はやく私を助けて。お願い。私はそんなの観たくないわ』)
「おかえり」
亜希子は半眠状態で真理亜の名を小声で呼んだ。バスルームには真理亜の影があった
それは夢ではなかった。
亜希子は胸の奥が震えた。真理亜の姿がパノラマの映画のように亜希子に迫ってきていたからだ。現実のスィートスポットだ。
熟睡後の清涼感が亜希子にはあった。
湯舟の鏡面に映える清澄な真理亜の肢体に酔いしれていた。
彼女は寂莫な想いに駆られている真理亜を眺めていた。
レモンの香りがその周りに無数の小惑星のように漂っている。亜希子は嬉しくて青い空に飛んでいきたい気分になった。
亜希子はそっとバスルームに入る。
真理亜は大きな胸を両手で押えた。完璧に身構える。
「だれ?」
「だれでしょ?」
「亜希子?」
「違うね」
「いじわるね」
「びっくりした?」
「・・・・うん。少しね」
「ごめんね。ゼミ休んじゃった。モデルのあと疲れちゃって・・・」
「わたしもよ。順子と銀座」
「なんだ」
しばらく沈黙の時間が続く。何かを確認しあうように激しくお互いを見つめあう。温かい接吻が昨夜のようにリメイクされる。
セミヌードの亜希子はシャワーのしぶきを胸に当てた。シルクの下着で被われた上半身が温水で濡れる。
突出した芸術的な胸部が摩天楼のようにそびえる。胸から両肩までのかたちが真理亜の前であらわになる。写真で拡大すれば芸術作品にもなる。
「今度写真撮ろう・・・・」
亜希子がねだる。
「そうね。でも普通のはダメよ」
「じゃ、デジカメは?パソコンだったら自由にみれるでしょ?」
「きまり。今度、買いにいこう・・・」
「ねぇ、きて・・・」
亜希子は両手で自分の双丘を真理亜の摩天楼に不意打ちをかける。
ぬれたシルクで覆われた乳房と裸身の乳房が不思議なムーブメントをつくる。二人は美しい光景だと思った。
亜希子の指がいつの間にか彼女の肢体の中心に潜入していた。猖獗と慰謝の同居する幻覚の世界・・・
「すこし痛い。でも・・・やめないで」
「もうはじまるのかしら」
「いやだね・・・」
「しばらくガマン?」
「そう・・・・」
二人は切望の嵐が目の前を通りすぎていくのをおぼえた。
「こんどは、脚にきて・・・」
亜希子はまた指を差す。
真理亜は亜希子の肉付きのよいふくらはぎに接吻をする。口で風をつくる。
亜希子がケイレンしている。かすれた声で「真・理・亜・・・・・・」
真理亜は亜希子の第三の弱点をみた。
「亜希子。だいじょぶ?」
「分からない・・・・」
今度は膝から足の先端まで激しく風を起こす。亜希子は必死に堪えながら真理亜の耳たぶを口に含んだ。真理亜の攻撃が止んだ。  真理亜は防戦体制に入ろうとしている。ようすがおかしい。
「感じる?」
「・・・・・」
亜希子がたずねても返事がないのだ。
真理亜の声がかすかに出ているが判読不可能だ。うなずくのが精一杯なのだ。亜希子も真理亜の第三番目の弱点を発見する。
真理亜の滑らかな背中を擦る。
「どうしたのかしら・・・」
「さぁ・・・」
「今度いじわるしたら・・・・」
真理亜が珍しくせつなく言う。
「感じたんだ・・・・」
「バカね・・・」
真理亜と亜希子は物理的な交接というものとは無縁だった。紅涙は果てしなく求めあうものだという確信を得ていたからだ。
真理亜の体の中心から湧き出る水。
隆起した胸の先端から舞い散る透明な汗。 その全てを受けとめた亜希子は自分の体を洗うように優艶に自身の乳房を揉み研いでいる。
時折振動を加え合うと二人の胸の山頂の赤い実が円形状の乳輪のなかで勢いを加速し肥大化していった。
その実は征服欲に育まれた舌端の触感で次第に成長していく。二人は肌色の堰で絡み合い、互いの口唇と恥丘に話しかけようとしていた。
彼女たちは、幸福の嵐が猛烈な津波の速度に乗って近づいてくるのを感じていた。
二人は俗世から守られた安全地帯にいた。 シャワーが全開になる。行為の痕跡を消し去る。
美しい記憶だけが積み重なっていく。
「ごめんね」
亜希子は真理亜にフェイント攻撃をしたバツの悪さに嫌悪している。そのそぶりをした企みに真理亜は微笑む。
「こいつめ・・・・・・」
「あしたは行かないと。ゼミ・・・」
「わたしも。あと一日で区切りがいいから。でも、もう始まったみたい。胸が張れて痛むから。あなたも気をつけてね。あとでメールしよう。あの子たちに悪いから」

三 ニュー・フェイス

元婦警は岡本彩子という。愛子とは幼なじみだ。まだ未婚である。
老齢にもかかわらず指導のかたわらヌードモデルもしている。当時から愛子のモデル組合で登録していた。
真理亜たちも唖然としている。
彩子は七十五歳と高齢だが、見た目の肢体はまだ四十歳代にみえる。
信じられない事だがここ三十年近くも維持しているのだ。彼女は四十八歳の時退職している。あの事件があったときだ。
いまは中野で大きな空手道場を開いているが、会員は四百人近くおり、OBは世界大会でも良績をおさめているようだ。
彩子が臨時の婦警を退職してから続いている。新進気鋭の洋画家・沖田総児とは永いつきあいだ。二十七年ものあいだ彩子を専門のモデルにしている。
つい最近洋画界の芥川賞といわれる安田賞展のグランプリを獲得したばかりの作家だ。いわゆる五十歳までは新人とみなされる作家の登竜門だ。
永い間専属モデルをしているのには理由がある。彩子が絶対他人には言えない沖田とのシークレットゾーンがあったのだ。
真理亜たちには真理亜たちの美が存在するのと同じように・・・
彩子が現職の頃だ。年齢不相応の眩しい肢体はいやがうえにも若い男たちの目にとまる。彩子はまだ処女の身だ。許しても良いという男と過去に縁がなかっただけだ。
ある日、非番で夜桜を眺めているとき、数人の男にレイプされようとしていた。
花見酒で酔っていた男たちは計画的に彩子を狙っていたのだ。
大声を出しても賑やかな花見客の酒宴で誰も気にする者はいない。
彩子の純潔はかなり危険水域に達していた。上半身の衣服がはぎ取られ下着姿になったとき、男たちは信じられないと目を奪われる。
熟女の身で思ってもみなかった若々しい肢体。みずみずしい白い肌があらわになる。 彩子の脚線美は男を虜にしている。薄紫のブラウスが彼らの目に留まる。はち切れそうな桜桃色の乳房が衣の中で、決して誰にも犯されてはなるものかとひっそりと固唾をのんでいる。それをみて一人の男が大量の射精をしてしまう。股間に手を伸ばし
泣き出す者もいる。みんなまだ女の秘密を知らないのだろう、きっと。
「バカかお前・・・。まだまだ始まっちゃいねえのによ」一人の男が諌めた。
液を出した若者はマザーコンプレックスが表に出ているにすぎないのだろうと彩子は思った。顔がまだあどけない。世の中のしがらみをまだ知らない童貞たちだ。
少しは男たちにも理性があったのかは彩子には分からない。彩子は冷静だった。だが腕ずくでは彩子は勝ち目はない。もうこれまでと彩子は内心あきらめていたのだ。
やられたらあとで反撃してやろうと気丈な気持ちも抱いていた。
波のように激しく揺れる彩子の豊かな胸の谷間。白い透明なふくらはぎ。均整のとれた肢体。美顔がいっそう彼らの情欲を掻き立てていた。若者たちはその奇跡を目の前にしている。いち早くそれを視てみたいと男たちが絶叫している。彼らは彩子が五十歳前の熟女だという現実を知らない。どうみても三十代前後の美貌の女としか映らないのだ。なかには丁寧に白い大腿部と腕に顔を寄せている者もいる。彼らの五人の手が彩子の淡いモスグリーンの特大のブラジャーを外そうとしたときだ。
偶然通りがかった沖田が止めに入る。
「おまえら、何してやがるんだ・・・」
近くで夜桜をスケッチしていたとき彩子の叫び声が聞こえたからだ。
このとき沖田はまだ二十三歳の学生だ。
「逃げろ・・・」
「ええ、でも・・・」
「俺にかまうな。早く服を着て。
早く・・・」
「なんだお前は・・・」
「なんだよ」
「じゃますんなよ。この野郎・・・」
彩子は一目散に逃げる。木の影に隠れる。 一対五では勝ち目はないと彩子は思ったが酔いどれの花見客など当てにはできない。
沖田は必死で応戦する。そのうちの一人が背後からガラスの破片で沖田の咽を鋭く刺した。脚や両手にも容赦なく攻撃する。
パトカーが到着したときには、かなりの出血で辺りが湖と化していた。
すぐ救急車で赤十字病院に運ばれる。かろうじて命は救われたが、沖田はそれ以来ハンディを背負うことになる。
左手は不自由となり、声が出なくなった。 それでも沖田は何とか絵の学校は卒業し、現在に至っている。当初、沖田は彩子からしばらく姿を消していた。
彩子があの事件で精神的に一生縛られるのを気づかってのことだ。一年後彩子はホームレス状態の沖田を上野公園で見かける。
彩子は退職して中野で細々と空手道場を続ける。沖田を何とかしたいと思ったからだろう。その時は愛子にも相談に乗ってもらっている。後日愛子は真理亜たちに話している。 彼らのプライベートなこと意外は・・・。 彩子は真理亜たちを送った後沖田のアトリエに向かった。沖田と彩子の家は清純寮の反対側に位置している。二人にはお互い干渉しあわない不思議な関係が長年続いている。
彩子の沖田に対する気の使いようは尋常ではない。
あまりにも男女の関係からみても年の差がありすぎる。沖田は彩子を心底愛している。彩子からみれば少し事情が異なる。
愛してはいるが気持ちは引いている。
沖田に負担をかけたくないからだ。
まだ若いのだし他の女との結婚も時折斡旋している。沖田は頑としてそれを受け入れようとはしない。
彩子は愛されていることに充実感を覚えるが沖田との結婚は考えたことはない。沖田が自分の子供のようにも思えるからだ。
母性本能というありきたりな心理ではない。沖田にたいする無視無欲の奉仕の気持ちといったほうがいいだろう。
強いていうならば彩子には絶対に譲れない想いがある。
沖田の精気を注入してもらうことだ。要するに心身ともに一体化することだ。純粋な愛がなければ出来ない。彩子の若さの秘訣だ。二十七年間続けて来たことだ。これからもそうしていくだろう。
ひょっとしたら百歳くらいまで、その眩しい肢体を維持していくことが出来るのかもしれない。沖田が彩子を求めるかぎり。
彩子は七十五歳という老齢とはいえ精力は沖田以上だ。沖田の方からは直接体を求めることはしない。
要求するのはモデルのポーズだけだ。他は一切要求してこない。一本気な性格は昔から変わっていない。ときおり優しい気持ちを人一倍求めてくるときもあるが。
沖田は声をだすことが出来ないので、通常は眼やそぶりで会話をする。はじめからアイ・コンタクトでもお互いの気持ちがわかるようになっている。
彩子のオルガムスは雰囲気でわかる。まったく衰えのない胸の隆起と肌ざわり。眩しい彩子の肉体と精神の存在は奇跡に近いと沖田も感じている。現実を破壊する神秘の世界。沖田のマグマが彩子の若さのバックボーンであることは現実が証明している。
「遅くなってごめんね。心配した?」
『そうでもないよ』
「電車でトラブルがあって・・・」
『いいんだよ。
でももう遅いから帰りなさい・・・』
「いやです」
『どうかしたの?』
彩子には電車での事件がまだ尾を引いていたのだ。真理亜たちには気丈なところを見せてはいたが、沖田の前では人が変わる。一人の女として変貌する唯一の場所だ。
二人の会話は以前からずっと変わっていない。
沖田は彩子を男たちの餌食にされかかっているところを間一髪で守ってあげた訳だが、その代償として左手の感覚と声帯を失ってしまう。見つめあうだけで二人の扉は自然と開くようになっている。
アイ・コミュニケーション、マウス・コミュニケーション、そして愛のボディー・ペッティングと合体が彼らの基本だ。
お互いの気持ちと信頼感が無言の会話を生んでいる。白い肌と小麦色の鋼鉄の肌との一体感は彩子と沖田の愛の軌跡をつくる。
この日、沖田はいつもと違う彩子を感じていた。
彩子は電車の中での出来事とはいえ、男たちの行為によって自分の中での自制心が一瞬にして崩れてしまっていたのだ。
真理亜たちと別れるまでは堪えてはいたが沖田の前では我慢の限界とみえる。
週に一度の沖田との癒しのひとときは、彩子がこれまでみずみずしい肢体を維持してきた唯一神聖な世界なのだ。
年齢の違いは愛のフュージョンでオアシスにもなる。沖田は少しハンディを背負っているが、自分の方からは決して彩子に甘えたりはしない。彼にとっては真に女神なのだ。巡りあった時から少しも変わらないのは神のなせる技だ。
沖田はいつもそう感じている。それに彩子があの事件以来、自分を押えて義務感で来ていたならばこうも永くはつづかなかっただろう。
正直言って最初の頃は確かにそうだったかもしれない。沖田のそういう危惧の気持ちは彩子の中から少しずつなくなっていた様な気がする。
だが彩子は沖田のモデルを承諾して以来、自分の世界を見つけたようだ。年々美しくなる。沖田にはそれがうれしい。
「総児さん、食事どうした?」
『まだ。彩ちゃん、君はどうしたの?」
「今日はあまり食欲がなくて・・・」
『具合でも悪い?』
「いえ・・・・」
彩子は珍しく涙を流している。これまでにはなかったことだ。沖田は彩子のすべてが隙だらけにみえる。何かにすがりたい気持ちであることは直感でわかる。
沖田は退院以来、リハビリを兼ねてボディビル事務所に週二回通っている。メニューは沖田の事情に合わせてもらい、これまで一度も休んだことがない。
鋼鉄のような胸板と逞しいモニュメントは彩子のすべてとなっている。彩子の変わらない美貌と身体が沖田の存在とともに進化してきている。
真理亜たちには想像できない。愛の形態は一定ではないからだ。自由なのだ。互いの尊厳さえあれば・・・・。
沖田は初めて自分から彩子を優しく抱擁した。会話など二次的なものだ。
「ありがとう・・・」
彩子は少し落ち着いてきたようだ。
沖田は彩子の態度に戸惑っていた。彩子は沖田の厚い胸板に顔をうずめる。二人のビューテーゾーンができ上がる。
沖田はいつものように仰向けになる。
肉体的な位置はいつも彩子がイニシアチブを握っている。このスタイルは最初の頃から変わらない。
彩子が四十代の終わりに処女を捧げたときも・・・。
当時沖田も童貞だった。彩子は沖田の頭部を白い巨乳で優しく覆った。
そして紅い乳輪を彼にくわえさせた。感じる舌の攻撃は彩子の局部に伝わる。
沖田は彩子の栗色で美しく染め上げた髪をゆっくりと擦る。
彩子はまた一段と奇麗になったと沖田は思っている。
日本の女性も近頃綺麗になったと感じている。赤茶系などで染めた髪は日本女性の肌にぴったりと融合するのだ。それは決して、フロックではない。若い女性たちはますます美しくなってきている。意志をもった日本女性はみな珠玉のオアシスを生む運命にある。沖田が目指す絵画の世界そのものでもある。繊細な遺伝子を受け継いだ日本女性の感性はいくら外形や考え方が一時的に変わったかに見えたとしても、歴史の中では微動だにしない。白人女性が日本女性にジェラシーを感じる理由がそこにある。
彩子はそびえ立つ鋼鉄の塔によじ登った。沖田は右手で彩子の局部を優しく刺激した。彩子は沖田の塔を華麗に試食している。
ピンク色の乳房が沖田の顔面を襲う。片手で懸命に乳首を捕獲する。彩子の紅い局部が目の前に迫ってきた。
沖田の口撃は自然体だ。無理がない。彩子もナチュラルなムーブメントをつくる。メインディッシュは、彩子の若さの源泉だ。局部との一体化は造形的な美を演出する。
騎乗位にはなったことがない沖田は彩子の眺望を想像する。世界の女王になった気分だろうと察した。
沖田は煮えたぎる体内のマグマを感じる。彩子の体の中にその流れが怒涛の勢いで進入していくのをおぼえた。
彩子が瞬く間によみがえる。残りの溶岩流がまだ冷めないうちに彩子の口に入った。沖田も彩子のデルタスポットを容赦なくむさぼる。
主食のセレモニーが終る。
二人には時間の観念はあり得ない。

真理亜の突然の休みでH美術大学のアトリエ内では混乱していた。ウェブデザイン科の水沢明彦は学内では変人で通っている。その天真爛漫な性格は女学生には受けている。
いわゆるムードメーカーだ。亜希子と明彦とは姉弟的な雰囲気でもあった。亜希子の気持にはそれ以上の感情はない。
長髪にサングラスの明彦はいつもニコニコと言いたいことを容赦なく人に話しかける。以前フットボールで鍛えた見事な体格の一部始終はだれも目にしたことがない。ユーモアに富んだ彼の存在感はみんなが認めるところだ。人の良すぎる点以外は。
心情的に損や得の計算ができない性格なのだ。駆け引きは一切考えない。就職などどだい無理な話だ。要するに世渡りは苦手とみえる。三年先輩の文也とも少し似ているといわれる。
政成たちが心配そうに話しかける。
「真理亜ちゃん、どうしたんだろう。今日は来るのかな・・・」
「さぁ、こないかも・・・」
「困るよ。今日課題の最終日だよ」
「樫田教授、寸評に来る日だろ・・・」
「真樹ちゃん。千里さんに聞いてきて」
教務室にメールで連絡が入っていた。
「今日はパスだって・・・」
「えーっ・・・」
アトリエは騒然とする。ニセ学生は四人いたが彼らも肩透かしをくらってしまう。
「どうする?」
「今日はやめだな・・・」
「でも、一日モデルがいないんじゃ・・・」「それもそうだな・・・」
みんなは最後の仕上げが出来ない。
「教授が今日は各自別の課題習作をやるようにだとよ。明日真理亜ちゃんがきたら、考えるってさ・・・」
一茂が野永助手から連絡をうけたらしい。「じゃ、適当に何か描こうかな・・・」
「描くと言っても何をかけばいいんだよ」
政成がいつになく穏やかではない。
明彦はこの日デザイン科から鉛筆デッサンでオープン参加だ。イビキをかいて朝早くからアトリエの隅で寝ている。前日の合コンで飲み過ぎたらしい。
ニセ学生たちも呆れている。 彼らはモデルが来ないからといって帰るわけにもいかない。下手には動くわけにはいかないのだ。本学の学生が制作以外に目を向いているから彼らはどこの科と聞かれる可能性があるからだ。
「困ったな・・・」
「困ったわね・・・」
打開策を考えているものがいる。意地悪好きな政成だ。小声で一茂に話している。アトリエにいる全員にも伝わる。明彦以外は。
「そんなこと。彼に悪いわよ。よしなさい」かおりがバツわるそうに政成にいう。
「だぁいじょぶさ。まかせな・・・。あいつも人がいいから・・・」
「わたしも反対よ・・・」
和美や佐和子をはじめ過半数を占める女性陣に咎められる。
「でも、一度視てみたいだろう?」
「いやよ・・・」
かおりは以前から明彦とつき合っているが男女の関係ではない。興味はあるが。いやよと言いながら目は潤んできている。他の女性陣も同じだと政成はみている。
「教授には内緒だぞ・・・」
みんなはしかたなく?相づちを打つ。
「あいつに当たるようにアミダをしようぜ」「でも、わたしに当たったらどうしよう」
真樹が言う。
「わたし、あんまり制作意欲かき立てるような体じゃないし。ヌードはいや・・・」
かおりも反論する。
「女の子はナシだ。やらなくていいよ」
明彦がようやく目を覚ます。政成が事情を説明する。まさか自分が当たるとは夢にも思っていないようだ。
かおりは少し興奮している。
「かおり。だめだ・・・」
かおりが明彦に耳打ちしようとすると政成が首を横に振る。
「なんだよう。さぁ、はじめようぜ。誰に当たるかな・・・」
「相変わらずノー天気だな。アイツ・・・」 みんなも呆れている。
男子十人がアミダをする。明彦ではなく博志に当たりそうになる。みんな首を振る。誰もがきゃしゃな博志のものは視たくもないと言うような顔をしている。明彦がよそ見をしているうちに政成はとっさに線を一本引く。大当たりだ。
明彦が大声で叫ぶ。
「うわぁ、そりゃないよぅ・・・」
みんなは拍手喝采だ。恐ろしい事件はみんなの目の前に迫ろうとしている。予測はできない。人のいい明彦は事情がまだ飲み込めていないようだ。安易に考えている。
女子学生たちは眼の視線をどこに定めようか思い悩んでいる。
「明彦。じゃぁ、はじめてくれ・・・」
政成も同性のわりには紅潮している。
「わかった。コスチュームでいいんだろ?」「コスチュームだと?」
「だってそういう約束じゃん・・・」
「何言ってんだよ。フルだよ。フル・・・」「おい、冗談だろ?そんなこと・・・」
かおりも他の学生たちも、ニセ学生たちも内心期待をしている。男のヌードモデルは、経験がないからだ。
「しょうがねぇな。知らねえぞ・・・」
明彦は表向きには自信なさそうな態度だ。明彦がかなりのナルシストであることはまだ誰も知らない。
着替え室で明彦は衣服を脱ぐ。窓からは太陽の光線が眩しい体を被っている。
「おまたせ・・・」
アトリエに異様な雰囲気が漂った。
「私・・・・風に当たってくる・・・」
かおりは機嫌が悪い。明彦の裸体があまりにも刺激的だからだ。自分だけの世界が他人にもさらけ出されようとしていたからだ。他人と明彦を共有するなどもってのほかだ。ジェラシーと言えなくもない。明彦の小麦色の厚い胸板、腰の曲線、異様に発達した脚部はアトリエに閉じこめられた彼らを虜にしている。
女子学生は驚嘆しながらも、我慢をしながら何喰わぬ顔をしている。
着替え室から明彦が顔を出す。その前に体の中心から鋭い鉄柱がはみ出ていた。
(えっ、うそでしょ?)(すごいわ・・・)(・・・・・・)
(どうしよう・・・)
(バカか、あいつ・・・)
(ほんとだよな・・・)
政成や一茂たちも異様な光景に戸惑っている。なんだこれは・・・。やめときゃよかったというような顔をしている。
小野和弘、野添早紀、脇坂純子、有吉聖一の四人はニセ学生だ。
彼らも明彦のヌードに目を奪われている。だが、もう遅すぎた。
ミケランジェロのダビデ像と同じポーズをとることにした。みんなの意見だ。
「これでいいのか?」
「・・・あぁ、いいよ」
「そんな感じよ・・・」
みんなの話ぶりがいつもと違う。明彦は、いつもの笑顔だというのに・・・。
かおりが戻ってきた。
「うっ・・・・・」
いくぶん嘔吐気分だ。真樹とひかるは平然としているふりをする。
「あなたたち、平気なの?」
三人は表に出る。
温かな陽光が気持ちをすこし和らげる。
「かおり。あなた明彦の視たのはじめてじゃないでしょ?」
「何言ってるの。そんななかじゃないわ。みんな知らないの?
彼の本命は亜希子さんよ・・・」
「あのモデルの?」
「でも、ここしばらく来てないわよね」
「そうね・・・」
かおりは溜め息といっしょに片思いの風情もみせている。
ひかるは結構観察力に鋭いところがある。自分の局部も鏡を見ながらリアルに描ける力は誰もが認める。ただ、リアルすぎて鑑賞には堪えない。本人も言っている。
「でも、なに、あれ・・・」
「すごいわね・・・」
噂は女子学生に口コミであっという間に構内に広まっていた。
アトリエの回りには窓越しでみているものもいる。
困ったもんだと明彦も自信の笑みを浮かべる。ナルシストの表情だ。
(だから、いっただろ。後悔しても知らねぇよって。でも、困るんだよな。外から覗くのは・・・。ローマのコロッセオスタジアムにいる感じになって来るじゃん。ローマの剣闘士に見えるかい?おい、そんなに見つめないでくれよ・・・)
タイマー音がなる。ワンポーズは二十分が限度だ。立ちポーズは結構体力が必要だ。
真理亜も亜希子、それにアンナも早苗ちゃんもよくやっているなと明彦は感心する。
アンナと早苗は別棟のアトリエでダブルポーズだ。二人でやっている。みんな持ち場をはなれて見に来ている。アンナと早苗も隠れるようにみている。
早紀と純子は手が動いていない。じっとみているだけだ。他の学生たちは、たぶん構図を考えているんだろうとしかみていない。
彼女たちは興奮しているとは誰も思ってはいない。ふだんは経済専攻だから、デッサンしようにもすぐ描けないのだ。真理亜がモデルだったら絵の具を使うので何とか体裁は整えることができたのだが・・・。
五分休んだら二回目のポーズだ。明彦は足の位置とポーズの形を確認する。
政成がオーケーの合図をする。
明彦に突然魔が差しはじめていた。無意識の彼の想いは誰も知らない。窓の外でも本学の学生たちが盗みデッサンをしている。この日は一日だけの超人気課外授業だ。そのことは教務室の野永は知らない。朝から自主授業となっていたからだ。
ポーズをしながら明彦は亜希子のことを思い出していた。無意識にやって来る男としての衝動を覚えた。
森の中にいるエイリアンが眠りから目覚めている。長さ四十センチの生き物がゆっくりと動き始めた。青い大理石の塔がどんどん肥大してくる。そして鉄のように硬くなる。彼女たちの目の前に迫ってきた。十センチは確実に大きくなっている。百八十センチの身丈からはどうみてもアンバランスな形態だ。
女子学生たちは始動する前の姿だけでも驚愕していたが、また新たな世界が現われてきたのだ。内緒で唾を飲み込んでいる。
女子学生たちは、ゆっくりとバージョンアップしていく塔の様子を見つめている。みんな唖然としている。
彼女たちはさっそく家に帰ったら部屋の中に閉じこもるのは目に見えている。
決してそのイメージからは逃げることは不可能のように思える。
政成も一茂も声が出ない。腰を抜かしている女の子もいる。最悪の状況だ。その塔の角度は最高値に達する。平行どころではない。そこから更に四十五度も明彦の顔に向かってきているのだ。(なんてこった。まずいな・・・)
明彦にはどうすることもできない。
普通の女の子だったらすでに大声をあげているところだ。女子学生達は我慢して息を殺しているようにみえるが、みな気持ちの中は混沌としている。
時折コブラのような目は辺りをみまわす。わずかな振動でもおおきく反動で揺れている。時間がすべて止まっている。アトリエの中はそういう感じだ。
一見、明彦は申し訳なさそうな態度をとっている。
常識的には険悪な雰囲気が漂いそうだが、明彦の隠し事をしない明け透けな性格にみんなはホッとしている。
ひかるだけはものすごい集中力でどんどん枚数を重ねていく。五十枚は下らない。速くめくっていくと動いているように見える。まさに動画のアニメーションのようだ。一度ずつの角度で動きを正確にとらえている。
ハイスピードのラフスケッチだ。
早紀は手首と指を自分の股間に挟み込んでいる。濡れた手をタオルで覆っている。
「すげぇだろ、みんな・・・」
「あほか・・・」
一茂が笑いながら言う。
「ほんとよね・・・。フフフ」
「ははははは・・・・」
爆笑の嵐に明彦も内心安堵している。
「政成、このやろう・・・」
明彦は笑いながらアトリエの中で政成を追いかける。エイリアンはその都度、激しく揺れている。時にはニセ学生の早紀と純子の口にニアミスをする。
「いやだ。何よ・・・」
この夜、間違いなく早紀たちは眠れぬ森の淑女となる。
まさにニュー・フェイス誕生の日だ。
特異な状況はワンポーズだけであった。外から見ている者もカルチャーショックを受けている。誰もが放心状態でアトリエを後にした。
野永千里がアトリエの鍵の確認にきていたが、驚いた様子だ。誰がモデルかすぐわかった。明彦にひそかに抱いている自分の心にも気づき始めていた。
(私も見たかった・・・。個人的に・・・)「おい、明彦。みんなでメシいこうぜ」
政成が声をかける。
「そうだ。そうだ。ついでにスター誕生のお祝いでもしなくっちゃ・・・」
「そうね。そうね・・・」
「よし、会費集めるぞ。一人二千円だ」
「明彦は体で払っているからな。
今日はいらないよ・・・」
「ひやかすなよ。もうやらねぇぞ」
ニセ学生たちも紛れ込んでいた。

四 倒れた斜塔

真理亜の身体のなかにはいつもの生理がはじまっていた。一か月ごとに襲来する女の宿命にはもう慣れたような気がする。日頃とは違いむくみがちになる。大きな胸がよりいっそう膨張してくる不安感。
乳頭や乳輪もまるで自分ではないような豹変ぶりである。でも少しいい色あいだ。腰部にも激痛が走る。体の中心では紅い川の流れが次第に激しくなる。
ポーズをしてる間は目立たないように堰止めを造らなければならない。一週間も我慢すればまた普通の日々に戻れる。だがまだ始まったばかりである。
(今日はちょっときつくなるかも・・・怖くなってきてもいる。亜希子も同じかな。今日は余り気が進まないけれど・・・でも覚悟しなきゃぁね、真理亜くん)
吉祥寺から中央線で国分寺へ。下車してから大学への十五分は今の真理亜には苛酷だ。おまけに、足もむくんで痛いし気分は二百パーセント暗くなっている。
(そうだ。タクシーでいこうかな・・・)
できたら女性ドライバーがいいな。
あっ、いた。駅前で手を振る。
「どちらまで?」
噂の有名ドライバーだ。なかには指名するご老人もいるらしい。
「そこの大学まで・・・」
「あなた学生さん?」
「えぇ」
「何してるの?」
「モデルです」
「あぁ、そう。あなた今あれでしょ?」
「わかります?」
「わかるわよ・・・。でも無理しないほうがいいわよ」
「・・・・・・」
「最近変な事起こってるでしょ・・・」
「ストーカー騒ぎのこと?」
「そうよ・・・」
小柄なドライバーは運転がうまい。珍しくマニュアル・トランスミッションだ。半クラッチの音が聞こえないほど自然な動きだ。ご老人とは思えない。無駄がない。
乗客に人気があるわけだ。スリルのある怖い表情意外は・・・
「あなた、いい体してるわね・・・」
「・・・・・・・」
若いころは美形に違いなかった。見た目は九十歳ぐらいに見える。
「ごめんなさい。この間だったかな。深夜だったわ。あなたによく似た子が男に襲われてねぇ。助けようと思ったけれど遅かったわ。ストーカーだって・・・。逮捕できなかったみたいよ」真理亜は押し黙っている。下手に話しに乗ってしまったらとんでもないことになると、身構えてしまう。
あの若々しい元婦警とはちがい女ドライバーはネガティブな雰囲気だ。
まともには顔立ちを見ることが出来ない。ほんとに老婆だろうか。女好きの爺さんという噂もある。だとしたら危険だ。真理亜はとっさに両脚の付根を締め、胸の隆起を目立たないようにした。黒色の車体。それに下から当たる顔への照明はまさにスリラーカーのイメージだ。女装をしている風にも見える。遅かったかも知れない。真理亜の顔はドライバーにすっかりインプットされてしまったようだ。証明書の写真は確かに女性の名前なのだが。
「ここでいい?・・・」
「ハイ。六百六十円でしたよね・・・」
「毎度。じゃぁね、気をつけて・・・」
老女のジェラシーの目線が真理亜の体をなめ廻すように徘徊する。真理亜にとってはあまりいい気持ちになれないワンメーターの小さな旅だ。
(あーぁ、このところ変なことばっかりだ。生理だというのにまったく落ち込んでしまうじゃない・・・)
真理亜は機嫌を損ねた。
大学の構内にようやく着いた。
アンナと早苗が円形の学食で待っていてくれた。朝、一緒に清純寮から出る予定だったが、真理亜が出てくるとは思わなかったようだ。
(とても明るい、いいオンナたちだ。やっぱりこれだわ。暗いものはすべてこの世から消しちゃえ。そう思わない?真理亜・・・)
二人は自販のコーヒーを飲みながらテーブルを揺らしている。前日のことで構内中が大変な騒ぎになっていたからだ。
アンナの目はエメラルドグリーンだ。
髪は赤毛でプロポーションは結構スリムなほうだ。父はアメリカ西海岸のシリコンバレーで働いている。母は日本人で美形だ。身丈は真理亜と同じ。
早苗は逆でトランジスターグラマー。身丈は百五十弱。重さは標準よりは肥えている。ふくよかさでは真理亜や亜希子も敵わない。一歩譲ることにする。
二人はなかなか言いだそうとしない。お腹に力が入らないからだ。
「あっ。こぼしちゃった。真理亜ごめん」
真理亜の胸元にシミができる。
「きょう、すっごく張ってない?」
「わかる?」
「触らなくてもわかる」
「やめたほうがいいよ・・・」
二人とも以前、無理をして悲惨な目にあっているからだ。
「だいじょぶ。自信ある。今日だけだから」「何かあったら、すぐ言うのよ」
「ありがとう・・・」
「じゃぁ、がんばって。私たちは隣りのアトリエよ・・・」
「ねぇ、お話があるんじゃなかったの?」
「後でね・・・」
(真理亜にはやっぱりいえないわね)
(そうだわね・・・)
学生たちがぞくぞくと登校してくる。朝から全学部で約三千人の学生が構内を忙しそうにさまよう。うわさだとニセ学生は三十人程いるようだ。
教務科も本性をまだみせないストーカーたちに翻弄されている。ニセ学生以外にもいるという噂だ。証拠がつかめないのだ。無関心を装う学生がほとんどだ。
この日、明彦は通常のデザイン科での実習だ。前日のような見世物になる心配はない。油絵科のアトリエではないからだ。
明彦は意外とさばさばとした表情だ。真理亜はまだ前日の事情は知らないが、いつもとは違う構内のざわめきを感じていた。
「よ、真理亜チャン。昨日はどうしたの?みんな心配してたよ。大丈夫?」
自分のことが人ごとのように思っている明彦はみんなから好かれる一因ともなっている。彼は決して人のせいにはしない。あまり考えない性格なのかも知れないが。
「昨日、何かあったの?」
「いや、とくに。何もないよ」
「そう・・・・・」
「ほんとだってば・・・」
「さっき、タクシーで来たの。それで、ほら噂のドライバー。乗ってしまったのよ」
「ばっかだな・・・でもまだ朝だからよかったよ。結構好意を持っている人もいるみたいだけど。俺は苦手だ。彼女が悪いわけじゃ無いけど・・・」
「正直言って緊張したわ・・・」
「怖かっただろ・・・」
「うん・・・」
「だろうな。この辺じゃ有名な妖怪ドライバーだ。人工のマスクでふざけているという噂もある。おれだって怖かったよ。それも深夜だぜ。バイト先で酒を飲みすぎて目がうつろの時だ。生あたたかい風が車を囲む。人気のない池のほとりで柳の枝が揺れている。タバコでもどう?といわれて貰ってしまったのが運の尽き。マッチの明かりが顔を照らすとそりゃぁもう大騒ぎもしたくなるが、一対一だし声も出せないんだ。じぃーっと我慢さ。結構漏らしちゃった。おれ肝っ玉が小さいんだよ、意外と。情けないと思うだろ・・・」
「小さいとは全然思わないけれどね・・・」「真理亜チャンまで。ずるいぞー」
「そういう意味じゃないけど・・・」
「そう・・・だよな・・・」
「時間よ。もういかないと・・・」
「じゃぁ、あとでな・・・」
真理亜はあくまでもナチュラルな明彦が気に入っている。亜希子もそうだ。
教務室で手続きを済ませる。野永がいた。「山本さん。結構張ってない?ここ・・・」「そう見えますか?」
「ばかねぇ。まわりの職員の目を見れば分かるでしょ・・・」
「そんなに。でもいけそうですから」
時折自分のバストが憎くなる。
「じゃ、今日はいいのね、一日。危なそうだったらすぐ言うのよ・・・。わたしはよした方がいいと思うけどな・・・」
「ええ、ありがとう。でも・・・」
千里の目つきがいつもと違うように真理亜には思えた。妙によそよそしいのだ。やはりきのう何かあったのだなと確信する。
(アンナも早苗も人が悪い・・・)
「さ、行くかな・・・」
学生たちはいつもご苦労様と気を使ってくれている。
アトリエの中はいつもより静かだ。
「おっはよー・・・」
「真理亜チャン・・・」
「真理亜・・・」
「よかったー。来てくれて・・・」
想いは様々だ。昨日のことはだれ一人として話すものはいない。
「さ、始めようね・・・」
アトリエではいつもモデルがイニシアチブを握る。なかには学生達の態度が悪くて怒って帰るモデルも多くいる。言動が慎重になるわけだ。女性が体を張ってフルヌードする姿は普通ではあり得ないことだ。その盲点をつくものが出てくるのはやむを得ないことなのかも知れない。真理亜もよく想う。
爽涼な秋風が多摩の方角に向きを変える。雲間からの光がやわらかく武蔵野の全域に降りそそぐ。
学生たちはアトリエの片隅にそびえ立つ真理亜を見ながら自分の感性が体液の真っ只中に流下しているのを見ていた。真理亜もそう感じていた。画学生はつくづく面白いものだと思う。永くモデルをしていると彼らのいい加減さと不安感、セルフコントロールできない自分自身との葛藤が手に取るように分かってくるからだ。
昨日のアトリエの状況とはうって変わり、みんないくぶん真剣な態度を装う。だが目線と絵筆がまったくあってない者がいる。本学の学生ではないと直感でわかる。少なくても四人はいそうだ。
(昨日は一体何があったんだろう。だれもいってくれないし。やっぱり気のせいかも知れない・・・)
今日の真理亜にとっては自然な立ちポーズとはいえ、二十分間同じ姿勢でいるのは酷な話しだ。
時折腕を伸ばしたり足の位置を確かめたり深呼吸でもしないと務まらないのだ。生理中の乳房がその都度大きな波を打つ。脚部や腰の辺りから汗がにじむ。学生もニセ学生も、真理亜の体の動きに酔いしれる。政成は昨日とは百八十度態度が変わっている。おそらく明彦の人の良さにつけ込んだ自分自身に嫌悪しているようにもみえる。
真理亜がくるといつもそうなる。不思議だな。恋心かもね。真理亜によく見られたいのだろうとみんなは適当に予測する。
通り雨が西の方角へ向きを変えて走っていった。近くに流れる玉川上水のせせらぎがアトリエの中に迷いこむ。
(今度はちょっとヤバイかも・・・)
真理亜は体中に走る痛みをこらえながら二回目のポーズ台に立った。不安だ。
腰の辺りにまであるサラサラとした長い黒髪が窓からの風でなびいている。上品なシャンプーとリンスの香りだ。
真理亜の息遣いが激しくなると双丘が微妙に揺れ動き、汗で身体の至るところから香水のような粒子が放たれる。
(気分が少し悪いけど・・・何とか持つか) 真理亜は、気分転換に何か考えようとしていた。鋭い眼光を四人のニセ学生にあびせてからかってあげようと思い付く。彼らは何やら落ち着かない様子でもある。
ポーズ台から真理亜に見つめられている彼らは筆を走らせる行為に走るが、視線をあわそうとしない。出来ないのだ。
その日ひかるも真樹も真理亜が普通の状態で臨んでいるようには到底思えなかった。だれもが大きな波をつくる動線を追っていた。時折、二つの丘から流れでる体の芳香が、彼らの禁じられた情欲の妄想をかきたる。だが、この日の真理亜はいつもとは違って見えた。ポーズの途中、アトリエの中に衝撃が走った。真理亜がポーズ台から板の間にピサの斜塔が崩れるかのようにゆっくりと倒れた。
真理亜の目の前が白くなる。アトリエの中は、騒然となった。ポーズ台では紅い液体が人工の湖を造っていた。真理亜の背に付着している。女の子達は悲鳴を上げる。
男たちはみな容赦なく目を覆われた。真樹やひかるは真理亜に声をかけるが聞こえないほどの声しか返ってこない。
『ゴメン。やっぱりダメ・・・』
女子学生達はあわてて手を貸しては医務室のほうへ運んで行った。
男子学生達は心配をしながら課題を中断しアトリエの外に出される。
アトリエは完全に鍵をかけられしばらく中へは誰も入れない。ポーズ台とその周辺には紅い湖が三箇所に造られている。真理亜の大量の血液だ。
日頃でもかなり低血圧な為彼女も用心はしていたようだが貧血で気を失ってしまったようだ。やはり千里の忠告を聞けばよかったと反省する。
医務室にアンナと早苗がやって来た。
「真理亜。だから言ったでしょ・・・」
「ゴメンね・・・」
「少しはどう?」
「落ち着いてきた・・・」
「今日は私たちが終わるまでここでゆっくり休んでなさい。一緒に帰ろう・・・」
「アンナありがとう。早苗もね・・・」
ベッドからはアトリエが見えた。誰もいない。みんな学食で休んでいる。
五人の女子学生たちが清掃用具をもって向かっている。
(お掃除までさせて、ゴメン・・・)
体の痛みが激しい。真理亜は一人になったときとっさに毛布を被る。自分の豊かな乳房をいたわる。自分自身でやさしく口で舐め回す。亜希子を思い出しながら・・・
(たすけて・・・)
真理亜は少し気弱になっている。一時間ほど熟睡する。窓の外では真樹たちが政成たちと激しく口論している。
「あなたたちそれでも男なの?常識が全然ないわよ。みそこなったわ。ねぇ、みんな」
「そう、そう・・・」
「ちょっと待ってくれよ・・・}
「さぁ、ホントのこと言いなさい・・・」
「だから言ってんだろ・・・」
「じゃぁ、何で綺麗になってんのよ」
「それは・・・」
男たちは彼女達の意表をついた物の言い方に怖じ気づいている。真樹やひかる達が真理亜の倒れたところを急いで清掃しようとしたところ既に誰かがそれを終えていたからだ。 なにも男たちがやることはないだろうとひかる達は憶測で決めつけているのだ。女の大切なプライドが傷つけられていたからだ。真理亜の大切な秘密の暴露は彼女達のシークレットの表出も意味しているからだ。
なにも男たちがやることはないだろうとひかる達は憶測で決めつけている。女の大切なプライドが傷つけられていたからだ。真理亜の大切な秘密の暴露は彼女達決して口に出してはならない暗黙の世界の崩壊を意味している。
許すことは決して出来ない。真樹たちは心底そう思っているはずだ。
過日、TV中継で女子マラソンのランナーが脚に流れ出る紅い血の流れを延々と映像に流し続け中継の男性アナウンサーが差別的な言動を吐いていた。プロデューサーやディレクター他スタッフはそれ以降全員番組を下ろされる。彼女達にしてみれば、それに匹敵するぐらいの事件なのだ。
「だから、知らないって・・・」
ニセ学生たちも逃げるわけにも行かなくなっていた。事は重大だからだ。アトリエの外は乱闘さわぎになった。こうなると男たちはどうしようもなくなる。そのスキにニセ学生たちの姿は消えていた。
千里が止めに入った。
「あんたたち。やめなさい・・・」
「先生、聞いてよ・・・」
真樹たちの目に涙が落ちている。
「どうしたの?」
彼女たちは事情を報告したが、思った以上に千里は冷静だ。妙に顔が強張っているのだ。それを見抜いている者はまだ誰もいない。「そうだったの・・・」
「きっと、彼らよ・・・」
「でも、証拠が無いんでしょ?」
「そりゃ、まぁ・・・」
「少しよく考えましょ・・・」
男達は無言のままアトリエに戻っていた。 女達もバツが悪そうに中に入る。険悪な雰囲気となった。
樫田教授が課題の寸評にやって来た。イーゼルから作品を窓際に移動する。一点一点綿密に評価していく。緊張感が室内に張りつめている。ダメな場合またやり直しだからだ。一ヶ月が無駄になる。
「この匂いは何だね。野永君」
「さぁ、なんでしょう」
日展の審査員もしている。日本を代表する洋画界の第一人者だ。
「さて、見させてもらおうか・・・」
最初に作品の全てを念入りに鑑定する。そして、ひとつひとつの作品をみんなの前で裁判にかけるように寸評していく。学生たちは千里の持っている課題チェックシートが気掛かりになる。
全般的に可もなく不可もなくで落ち着きそうであったが、ニセ学生の描いた作品のうちの一枚が樫田の目にとまった。
「これは誰の作品かね?」
アトリエ内の本学生とキャンバスの数が合わないのだ。四枚多い。
アトリエの管理と学生達の出欠の確認は千里の責任でもある。
千里には少し気のゆるみもあったのかも知れない。
「これを描いた者は・・・」
誰も応えない。
「これは・・・」
「教授。どうかいたしましたか?」
「野永君、ちょっと・・・」
二人はオモテに出て念入りに話し込んでいる。千里の様子が変だ。
「あなたたち、今日の課題は全員OKよ」
みんなはホッとする。
「でも、この四枚の課題はほんとに誰も知らない?」
「そういえば、あまり見かけない子がいたような気もする」
真樹が応えた。
「別の科から飛び入りできたんじゃ・・・」「確認したけど、それはないって・・・」
「えーっ・・・・」
「あとでよく調べるわ。でも、そのうち一枚はいい出来だそうよ。ひかるさん、真樹さんあとで教授の部屋に持っていって・・・」
アトリエのみんなは千里にいわれて察しがついた。一枚だけはデッサン力のある構図で色合いもバランスもいい。ニセ学生の習作にしては完成度が高すぎていたからだ。樫田も驚いている。
「とにかく君、運んでくれ・・・。詳しく観てみたい・・・」
「はい。わかりました」
生徒たちは不安げだ。とくに女子学生たちは。不可解なことが多すぎるからだ。
樫田の教授室に千里は緊急に呼ばれる。
「失礼します・・・」
「まぁ、お掛けなさい」
「例の絵は持ってきたかね?」
「もうすぐお持ちします・・・」
「その前に・・・野永君にひとつ聞きたいことがあるのだが・・・いいかね?」
樫田は神妙な面持ちだ。
「何でしょうか?」
「あの絵のことだが」
「本学の生徒ではないと・・・」
「そうだ。かなり描けるヤツとみている」
「ほんとに知らないんだね?」
「誓って・・・」
「そうか。わかった。しばらく私のところで預かっていいかね?」
「ええ、もちろんですとも・・・」
「しばらく他言は控えておいてくれ・・・」「分かりました」
「一週間の間だけだ・・・。来週女の子だけアトリエに集まるようにしておいてくれ。君の担当のアトリエだけでいい・・・」
「承知しました・・・」
千里の額に汗が出る。教授は何か掴んでいる。直感で彼女は察した。
樫田は千里の不自然な様子に気がつき始めていた。女性のプライドに気を使ってのことだ。今は言わないほうがいいと判断したのだろう。
アトリエでは誰もが無言で後片づけを行なっている。
ひかると真樹が謝る。
「政成君。さっきはゴメンナサイ」
「何が?」
「言い過ぎたわ・・・」
「いいんだよ・・・」
他の男子学生たちも気にしてないようなそぶりをみせている。かなり気にはしているのだが、今は真樹たちがまだ興奮からさめていないので明るく振る舞うしかない。
彼らは口に出してはいけない掟があることを知っているからだ。
「とにかく仲直りしようぜ・・・」
明彦だ。心配になって駆けつけてくれていたのだ。
彼女達の回りが急に明るい雰囲気になる。 政成たちも明彦の存在価値の大きさに頭があがらない。明け透けにものをいう明彦が、何を言いだすか分からないので皆は落ち着かないが・・・。
「よ、何があったか知らないが、ぱーっといかねえか?俺のバイトしている居酒屋でも来いよ。タダってわけにはいかないが・・・」「なんて店?」
「ショー・バイ・オトコ」
「商売男・・・」
「いいわね。ぱーっと・・・」
「そう、そう・・・」
明彦は彼らの貴重な潤滑剤だ。
彼には女の子たちも隠し事はできないらしい。前日にさらけ出しても気にしない明彦の事だ。真樹もひかるに相づちをうつ。
「明彦君。ちょっと・・・」
二人は彼にこの日の出来事をひっそりと打ち明けた。
明彦は何食わぬ顔で微笑んでいる。彼女達も彼の態度には意外だった。
「そりゃぁ、大変だったね。真理亜ちゃんは大丈夫だったの?」
「うん・・・」
「でも何だよな、無理はよくねぇな・・・」「そうなんだけど・・・」
「ヤツらはモグリでいたんだよ、ずっと。
よし、俺が捕まえてやる・・・」
「明彦君、まだ誰にも言わないで。真理亜にも悪いから・・・」
「分かってるよ。そんなこと。俺を誰だと思ってんだ?お前らのガードマンだろ・・・」「うん・・・それにエイリアンもいるし」
「脚が三本あれば怖いものなしね・・・」
「はははは・・・」
「ふふふふ・・・」
明彦の癒しの笑顔で彼女たちは落ち着きを取り戻している。
彼らの横顔が日差しで眩しく映えていた。 千里は学食で人を避けるように一人でお茶を飲んでいる。深く思い悩んでいる風にも見える。樫田とはテーブルを二つ挟んだ距離にあるが会話はない。
樫田は学生たちの講義も終わり帰宅するところだ。自宅のアトリエまでは歩いてもいける距離で通学するのには健康的である。
樫田は十年前に夫人と死別している。目下独り身である。かなりの資産もあるようだ。小平の玉川上水の近くにある瀟洒な建物に住んでいる。
野永千里は今は助手だが来春には樫田が彼女を助教授に推薦するという噂もある。個人的な関係はだれにも分からない。樫田はまだ六十代前半で精力家でも有名だ。
明彦ほどではないが若い女たちの絶好のターゲットになっているらしい。彼のプライバシーは完全に秘密のベールに包まれている。ふだんはダンディーで正義感の持ち主のようにもみえる。 実際には、かなりくだけた性格という情報もある。
千里の自宅は三鷹の連雀にある。一度帰宅してからまた電車に乗る。真樹の家は千里のマンションの向かいにある。
翌日、真樹はたまたま所用で恋ケ窪にいく途中の時だ。電車の隣の車両に千里によく似た女が大きめのサングラスをしているのを見かけていた。
大学での白い服装とは違い、高価なキャメル色のドレスが艶やかだ。国分寺の駅で下車して改札では樫田がペアのサングラスをかけて待っている。
真樹はたぶん間違いないと断定した。真樹は気づかれないように彼らを尾行する。探偵になった気分でスリルがある。 二人は喫茶店マハに入っていった。
少し混みあっているので話は聞くことが出来ない。
何の打ち合わせかも分からない。おそらく前日の出来事の報告か。別の話しか。どんな秘密の事情があるのか。真樹は必死に気づかれないように耳を澄ました。
微かに千里の声が聞こえてくる。真樹は前日の疲れでうとうとと眠ってしまう。ガチャンとコップの割れる音が店内に響きわたる。 二人に気づかれてしまう。
「真樹ちゃん・・・」
千里が近づいてきた。
「どうしたの。こんなところで・・・」
「ええ、ちょっと。親戚に用があって」
「この近くなの?」
「恋ケ窪です・・・」
「あら、学校の近くじゃないの・・・」
樫田も気づかっている。
「あぁ、アトリエの子。
たしか真樹君だったね。しっかりモデルをとらえてるじゃないか。いい課題だったよ」「ありがとうございます・・・」
二人はなぜか気まずそうでもない。
「あ、私たちのこと?ばかね、教授は私の叔父なのよ。いやゆる彼の姪ってわけ・・・」 樫田龍之介の兄佳祐は千里の母野永みどりと結婚していた。
野永家の婿として家業を継いでいる。服飾の流通関係でネットビジネスをやっている。事業は順調のようだ。
「そうだったんですか・・・」
「年の離れた恋人みたい?」
「はぁ・・・・」
「フフフフ・・・・」
「俺たちもまんざらじゃないね。千里」
「ええ・・・」
「よし、ふたりとも今日は私の所で食事していきなさい。部屋が余ってるから泊まっていってもいいよ。千里ちゃんもいることだし。家にはちゃんと電話して」
「わたし。あとで思い切って話すわ・・・」「昨日のこと?」
樫田と真樹も一瞬おどろいた。
「なにがあったの?」
「だいたい見当がついているよ・・・」
「先生。どういうこと?」
「さぁ・・・」
「先にシャワーでも浴びたいわ。叔父さん」「急に猫になっちゃったなぁ・・・。
兄さんに言いつけるぞ・・・」
「はやくいこう。真樹ちゃん・・・」
たしかに千里は一刻も早く秘密を解き放してスッキリとしたい気分であった。

五 倒錯者

千里はやっと重い口を開いた。あのことが誰にも言えず思い悩んでいたことが分かる。 前日の恐ろしい光景はいまだに話すべきか否かハムレットの心境だ。
樫田には当然分かっていたはずだ。うっかりと口に出さないようにしている風にもとれる。それとも自分の画風に影響を及ぼすほどの物であったのかは樫田にしか分からないことだ。
「千里ちゃん、気が楽になるよ。
話してごらん。口外しないから・・・」
樫田もナーバスな千里にかなり気を使っている。真樹にもだ。
たしかに彼は気持がすこし引いている。
絵の真相を知っているということは女の聖域も承知しているということだからなおさらの事だ。
「私はちょっとやり掛けの原稿を書かなくちゃいかんので。その話しは今度聞くことにするよ・・・」
「いいのよ。叔父さん・・・」
女同士でないと話しにくいものだ。樫田は繊細な男だ。
「真樹ちゃん、ここだけの話よ・・・」
「はい・・・」
真樹も神妙な顔をしている。
千里は真樹に状況をつぶさに話し始めた。
(真理亜が倒れたあとアトリエから悲鳴がきこえてきた。千里は二つ離れた棟の三階で美術史の講義を終わらせたばかりだった。アトリエから男子学生たちが外に出される。女子学生たちは真理亜を看病している。担架で医務室まで連れていく。
真樹とひかるたちはアトリエのポーズ台を清掃しようと用具を取りにいった。クリーンセンタールームが広大なキャンパスの奥にあるので往復三十分はかかる。真理亜の立っていたポーズ台には陽が差している。
アメーバ状の手のひらほどの赤い湖水が、太陽の光線でオレンジ色に変わる。
その蒸気は天井に張り付いているようにもみえた。
千里は男の影が窓をこじ開けてアトリエに侵入しているのを眼にした。それまで中の様子を詳しく調べていたようだ。ニセ学生たちとのかかわり合いは不明だ。彼はポーズ台を念入りに掃除をしている。双眼鏡では中の様子がよく分かる。千里もよく見る体つきだが、本学の学生ではないようだ。
それまで慣れない課題で取り組んでいたニセ学生の風貌とも違う。逆光と後ろ姿からのアングルなので顔の方は確認できない。キャンバスの布地は赤が基調になっていた。千里からの位置は、二階席の中央から見下ろす映画館のようなものだ。
千里は男がアトリエの中で腕を組みながら思い悩んでいるのをみた。ぐるぐるとキャンバスの回りを歩きながら考え事をしている。男が自分との倒錯の戦いで焦燥しているんだなとおぼろげながら感じていた。
彼は大きなスポイトで湖水の液体をすばやく瓶に詰めた。透明色の緑系のビリジャンと茶系のバーントシェンナーで構成色の下地を描き直している。ニセ学生の元の画面が彼の手によって新たなシーンが創られる。キャンバスに絵の具をテレビン油とリンシード油を介在して塗り始めた。瓶の中の紅い液体を混ぜその上に紅いバーミリオンを混在させていた。しばらくしてその男はアトリエの隅で股間を布で押え自分の白い液を出していた。その液をまたキャンバスに塗り重ねる。千里は自分の眼を疑っていた。男はモデルとの一体感を感じたいかのようなそぶりだ・・・。真理亜への想いを晴らすのは今しかないと思っていたのだろうか。
千里はその男の考えていることが見えるような気がしていた。
その作風は前衛でも奇抜でもない邪道な思い付きの世界だ。男は明らかに感性を台無しにしている。自分を悪魔に売りつけてしまっていたのだ。筆の運び方をみていると腕はプロ級のようだ。千里はそう感じていた。とにかく課題にしては常軌を逸脱している。単なる習作風の絵が見事に変貌していった。稚拙なニセ学生の絵のタッチが妖艶な独特の画風になっていたのだ。シュールリアリスティックな場面とスーパーリアリズムの共存が千里の眼を襲っていた。真理亜の体液とその男の体液が絵の具との合体で普通では出せない色を可能にしていたのだ。千里は以前どこかの美術展で見た絵を思い出していた。場所と作家名はとっさにはどうしても思い出せない。作業は順調に進められている。彼の額からは汗が多量に流れはじめた。すこし疲れたようすだ。脈拍が上昇しているようにも見える。千里は鼓動が聞こえるような気がした。胸を強く押えていたからだ。彼は突然ワニスの液で仕上げを始めた。その匂いで邪悪な全ての行為を隠そうとしているのかもしれない。真樹とひかるがようやく用具を持ってきた。とっさに男は瓶をポケットに入れ窓の外に身をかくした。瓶の中の紅い液はまだ半分近くも残っていた。千里のビデオカメラは前日からバッテリーが切れていた。ACアダプターは自宅に置いたままだ。証拠の画像は完全に撮りそこねた。残っているのは千里の残像だけだ・・・)
「わたし気持ち悪くなってきた・・・」
真樹は洗面室に向かう。話している千里は穏やかな顔をしている。
「どうして、平気なの?」
真樹はプライドのかたまりだ。喜怒哀楽が激しく感受性が強すぎる。それに気性もはげしい。女にとっては頼もしく思えるが男は近づいてこない。
「さぁね。あなたに打ち明けてスッキリしたのかも。いま思えばあの男は倒錯者の何者でもないわね。わたしも、すぐ叔父さんに言えばよかったんだけれど・・・男に言うのはどうもね・・・」
「言わないほうがいいと思うわ・・・」
「言わないほうがいいか・・・」
「そうよ。ダメよ絶対に。明彦君に言って必ず現行犯逮捕だわ・・・」
真樹の口調が荒々しくなった。女の聖域が犯されたような気がしていたからだろう。
「明彦君・・・。どうして?」
「もちろん、私たちの味方だから・・・」
「味方って?」
「なんとなく・・・」
真樹は人の気持の動きに敏感すぎるほどだ。男たちはウソをつけなくなる。彼女と正視すると誰もが右往左往する。男たちの見え透いた下心が自分と葛藤しながら表面に追い出されてくるからだ。真樹はそれを容赦なく徹底的に叩きのめす。
「先生、それにしても何なの、最近。廻りが妙に落ち着かなくて真樹困ってる。もっとじっくりとやりたいのに・・・」
「私のせいよ・・・」
泣きそうになる千里の横顔は年下の真樹にも母性本能を沸き立たせようとしている。
「ごめんなさい。そういう意味じゃ・・・」「いいの・・・」
真樹は話題を変えようとした。
「コーヒーでも飲まない?」
「じゃ、いまお豆を挽いてくる」
千里はキッチンの窓ガラスに前日のシーンが映っているのを覚えた。すばやく眼を閉じる。閉じても頭の方からまた再現されてくるる。逃げ場もなくなっていた。
「先生・・・どうしたの?」
「ごめんなさい。ちょっとね・・・」
「生理?」
「ちがう・・・」
二人は気持を落ち着かせるかのようにコーヒーを口にする。千里は意気がってスッキリしたとは言っているが、真樹にはそうは思えなかった。明彦のことを口走ったとたん顔の表情が変わっていたからだ。それに妙な態度だ。先月、三十路の第一歩を踏んだ千里は明らかにフラストレーションが蓄積している。男との関係がそれまで無縁だった彼女は自分を昇華させてくれる同姓の女を求めるようになっていた。だが、いまだに経験はない。妄想だけの自分の世界に溶け込んでいくしかない。これまでは無意識に自分自身での華麗なフィンガーテクニックに陶酔していたが、それももう限界にきていた。ありきたりな男との交わりにいくか、癒しの同姓にいくかは予断は許さない。千里は大学で生徒に講義中でもそのことが頭からはなれないのだ。危険な状況にある。真樹があぶない。
千里は素直に自分の女としての気持ちを真樹に話しかけようとしている。別の自分の声も聞こえてくる。
(千里には気をつけて、真樹。何をするかわからないから・・・)
真樹が怖そうな顔をして千里を見つめる。隙がない。千里は残念そうに目線を下げた。「先生、先にシャワー浴びていい?」
「・・・・・」
「先生、どうしたの?」
「なんでもないわ。先にどうぞ・・・」
真樹は一見男勝りの強そうな女だ。が、内心は気が弱い。完璧なヨロイのなかではピュアなかわいい少女だ。
千里は真樹の裸身をみていた。真樹は普通の女の子としてのプライドを崩そうとはしない。千里にとってはかなり手ごわい。それだけになんとかしたい気持ちにもなってくる。子宮からの癒しの本能がエスカレートしてくる。別の千里が自分の体に必死に抵抗しようと機をうかがっている。どちらがほんとの自分なのかも分からない。情けないことだと千里は思った。安易で危険な指の魔の手が癒しの行為を味方にしようとしている。千里は下半身の下着を脱ぎはじめた。スリムだが真理亜のような理想的な体型ではない。それにこの浅黒い肌の色は彼女とは比べものにならない。劣等意識が際限なく増殖してくる。その点真樹は千里と体型が似かよっている。きっと互いに癒しあえるはずだ。許してくれるはずだ。千里のそういう勝手な思いつきは日常では考えられないことだ。誰でも一人にでもなれば魔の空間と遭遇する秘密のチャンスは必ず存在する。千里はそう思い込んでいる。誰もが踏み込まれたくない秘密の世界はすべて自由な空間だ。千里は真樹も自分と同じ世界を持っているに違いないと想った。
真樹のなかに予感が走った。リビングの様子が浴室の中からでもわかる。千里が妙に静かすぎていたからだ。真樹は湯船で押し黙ったまま耳を澄ましている。シャワーを浴びるときから覚悟はしていた。男との経験の前に同性との行為はこの先正常な感受性が保てるのかどうかも自信はなかった。千里は思い込んだらやるつもりらしい。許すべきか戦うべきか真樹も判断がつかない。こういう時、明彦がいてくれたらと叫んでみたい気持ちにもなる。想えば、千里もかわいそうな女と真樹はみている。真樹も別に犯されるわけではないし思い切って行動に出ても恥ずべき事ではないという想いに傾きつつある。
浴室のドアに千里のシルエットが近づいてくる。真樹は湯船の奥に身を構えた。
「真樹ちゃん。入ってもいい?」
「・・・・・」
真樹は急に声が出なくなっていた。
(どうしよう・・・・)
「真樹ちゃん・・・」
ドアをこじ開ける音がする。真樹には壊そうとするような響きをおぼえた。
内側から鍵は掛けているので千里は入ることが出来ない。
真樹は沈黙の時間が永遠に続くように感じた。実際、窓からは脱出することが可能だった。だが、逃げたところで衣類はないし、ヌードで出てもこの男性的な肢体は誰にもみせたくはないし・・・どうみても逃げるのは無理だ。
(千里だって普通の心境かもしれないし)
「真樹ちゃん。どうしたの?」
千里の口調が激しくなっていた。
(どうしたらいい。どうしたら・・・)
真樹は相変わらず声が出ない。
「大丈夫?」
千里の声が柔らかくなってきた。作戦をかえたらしい。真樹はその声に誘惑されそうになった。騙されまいと自分に言い聞かせている。(やっぱり、逃げられない・・・)
真樹は内側のドアを開けようと湯船から右手を伸ばした。緊張で手が曲がらなくなる。ドアが開いた。千里が伏し目がちに入ってくる。彼女の股間に真樹の指が強く当たった。そして千里の体の奥に勢いよく深く潜り込んだ。普通ならそういうことは難しいと真樹は思った。千里の前戯の後に違いなかった。女ならすぐ分かる。柔らかな襞のなかに三本の指が迷い込む。生暖かい究極のスポットだ。親指は千里の恥丘に接着する。
しばらく二人は目を見つめあった。だが互いの波長はかみ合わない。不安定な心境だ。(不可抗力よ。先生。許して・・・)
千里はたったままだ。眼を閉じたまま終始無言だ。右手でタオルで胸を押えながら、左手では真樹の腕を強く押えこんでいる。最悪の状況になってきていた。
(いいのよ・・・)
真樹には千里の声が聞こえてくるような気がした。
(そういうつもりじゃ・・・)
真樹は必死に右手を抜こうとしていた。
(抜いちゃダメ・・・)
千里の声がまた遠くから叫んでいる。暗黒の真空にいる感じだ。二人はこの先がまったくよめない。イタチごっこだ。
真樹は決心した。左手で千里の頬を思いきり叩いた。それでも千里は微動だにしない。この行為の瞬間に命がけなのだ。
「いい加減にして・・・」
千里は依然黙ったままだ。目をつむったまま真樹の右手を離そうとはしない。真樹が気持ちを振り向いて同意してくれるのを待っているのかどうかは分からない。あるいはオルガムスの絶頂期を迎えてしまったのか。
実際には緊張して体の神経があるところで遮断されて筋肉が動かなくなっていたのだ。 千里の目に涙が溢れていた。
「ゴメンね。私・・・」
真樹の右手に白い透明な液が溢れた。千里にとっては清らかな聖水だ。
真樹の心に変化の兆しがあらわれた。無心で千里のクリトリスを優しくさすっている。彼女の緊張感が少しずつやわらいできたような気がした。
「どう・先生・・・」
「・・・・・」
千里は首を少し上下に動かした。
「どうなの?」
真樹は案外気が短い。声を荒げてしまった。軽率だったと思っていたが遅かった。また右手の奥が締めつけられる。元に戻ってしまったのだ。
(どうしよう・・・)
もう三十分もこういう状況が続いている。 再び真樹は決断した。母性で切り抜けるしかないと思った。決して愛情ではない。それを超えたものだ。
「千里先生。愛してるわ。気持ちを落ち着かせて。そう。気持ちいい?そうでしょう。私がついてるわ。安心して・・・」
真樹は千里の局部が緩くなるのを気長に待つ作戦に切り替えた。思い切って千里の局部を急襲した。舌の回転速度を最大にする。歓喜の声が弾んでくる。真樹は怖くなって来るのを覚えた。
「真樹ちゃん・・・」
千里の表情が自然になってきた。右手の締めつけが一瞬緩くなった。思いきり手を抜いた。
「あっ・・・・」
千里は浴室で仰向けに倒れた。自身の左手を局部に深く潜り込ませ、右手の親指を口に含んでいる。目はつむったままだ。涙腺が多量に流れている。真樹にとっては千里のその自慰行為は異様な光景に見えた。
女性にとってのシークレットオアシスが目の前で繰り広げられている。真樹は一瞬顔をこわばらせた。千里の行為が自分の心象のなかにに影となってあらわれて来そうになっていたからだ。真樹の右手は千里の聖液で被われていた。その何とも言えない香りに酔いしれている自分に気がつく。
シャワーでそれを洗い流そうとするのをためらう不思議な自分にも出会ってしまう。そういう自身の不確かな存在感。分からないものだ。
真樹は千里をこのまま放ってはおけなくなっていた。
下半身があらわな身をかがめながら、依然右手を口に含んでいる。恥丘を手で優しく押さえている。
真樹は突然、千里を抱擁した。自分でもその大胆な行動に驚いている。未知の領域に踏み込んだ瞬間だ。
もうあとへは戻れない。別の自分がしっかりと背後でそうさせているのだ。真樹はそう割り切っていようと思い込んでいる。そして自己の本性の思うにまかせる。背徳と思われようが、身勝手とみられようが、それはどうでもよく思えるようになっていた。千里が真樹の眼差しに気づいた。
「真樹ちゃん、ゴメンね・・・」
真樹は無言だ。
千里にも初めての経験だったからだ。千里は真樹の本性をみて安堵していた。
秘密の想いを共有するのは大切なことだ。「わたしも初めて・・・」
千里は真樹が無言でも何を感じているか分かるような気がしていた。
真樹は千里の唇を激しく奪った。千里はまるで真樹の奴隷と化していた。
千里の胸は男のように逞しい。硬く引き締まった乳房に真樹は顔をうずめた。やや痩身の標準的なプロポーションだ。真樹にとっては千里は理想の相手だ。小柄でグラマラスな真樹は千里にとっても相性はいい。千里は感じやすい体質でナイーブな女だと真樹には思えた。二人は抱擁するだけで絶頂を感じる。「流してあげる・・・」
「・・・・・・」
今度は真樹がディフェンスに回る。千里が積極的なオフェンスに変わっている。なにかがふっ切れた感じだ。
「はい・・・」
真樹は少しおくれて呼応した。意外と素直になっていく自分に驚いている。
ふだんのあの男勝りの強い口調は影を潜めている。態度も女らしくなっている。強がる女ほど純粋な自分のオアシスに戻れば優しい女に変貌する。真樹はいままでもそういう自分を大切にしていたことが、千里との行為で明らかになる。世俗の世界から自分を守るために、目的より目先の手段が身についてしまっただけのことだ。
「ボディーシャンプー取って・・・」
真樹の硬くて豊かな胸が泡で包まれた。千里も真樹に被ってもらう。互いの体を交差させる。プラスとマイナスのエナジーが突然発生していた。体の隅々まですき間が無くなるほど密着した。優しく癒しあう。二人の秘密の世界が完全にできあがる。それと同時に千里と真樹のバリアはスルーになる。
湯船に浸かった二人に沈黙が走った。充足感が雲の上に駆け抜けようとしていたのだ。 お互いのアイコンタクトは信頼感と不安感を見事に合流させたオアシスを創造する。
千里はベッドに誘った。
「一緒に来て・・・」
真樹は千里の誘導に好意的だ。千里は明らかに真樹から純粋なつながりを絶たれるのを怖れていた。
真樹はためらいながらもゆっくりと首を上下に動かした。二人はそのまま抱擁しながら朝まで眠り続けた。
二人の行為を樫田は気づいているのかどうかは想像することは出来ない。
次の朝、千里は鳥のさえずりで目を覚ました。真樹の姿はなかった。
この日は女子学生たちに事の終始を説明しなければならない。そうでもしないと彼女たちが納得してくれないからだ。
美大生とは言え、みんなあとには引かない強者ばかりだ。樫田もそう言っている。
ただ、真樹には全て打ち明けているから気は重くはない。少しアレンジしてうまく言えばいいのだ。気にしないようにしよう。彼女たちにはショックだろうが・・・。
テーブルの上に真樹の置き手紙があった。『先生、ごめんなさい。私、やっぱり出来ない。今まで通りでいましょ・・・。つらいけどお願い・・・。それじゃ、アトリエでね』「真樹ちゃん・・・」
千里は思いっきり本性をさらけ出した自分に嫌気を感じようとしたが、無理であった。純粋な秘密の世界を共有してしまった以上消し去ることなど出来はしない。打ち消そうとすればするほど秘密の空間が拡がっていくだけだからだ。いまは、ふだんは何も考えないほうがいい。
いくら積年のフラストレーションが爆発したとはいえ真樹には軽はずみな行為を強要してしまった罪は重い。救われたという気持ちがあるのは、あたたかな真樹の好意があったからだ。
「おはよう・・・」
樫田はいつもと違う千里の態度に気がついていた。女の充足感はいつも美しく感じるからだ。
「真樹ちゃんはどうした・・・帰ったのか」「ええ・・・」
樫田は危険な自分に気がついた。千里の潤んだ美しい視線に戸惑っている。
(・・・だめだ・・・)
突然、千里は樫田の胸に飛び込んだ。
「千里ちゃん、どうした?」
「・・・・」
そのまま千里はまた眠り続けた。
「しょうがないなぁ・・・」
樫田は千里を両手で抱きかかえてベッドに運んだ。彼女の眠っている姿に気が緩む。
樫田は大学であのニセ学生の課題の分析と課題の詳細な採点、それに女子生徒たちへの説明があるので、千里に置き手紙をおいて家を出る。千里は一時間おくれで樫田のあとを追う。
大学のアトリエのなかはざわついていた。前日の真理亜の事件があったからだ。
樫田教授が学生の課題を細かく行うという異例の事態となった。
というより、それは大義名分で実は当日の不可解な課題の作品の私的な解明と事件の説明を、女子学生だけに説明する腹積もりらしい。あの作品が相当樫田自身の創作意欲に火をつけてしまったのだろうと明彦は分析している。捜査マニアでもある彼の考えそうなことだ。
彼の予測は結構当たるという評判だ。
明彦はまだ誰にも打ち明けてはいないが、ニセ学生の足どりや樫田の行動を以前からマークしていたようだ。
彼はいつもは明け透けな性格だが事と次第によっては真理亜や亜紀子たちに危害が及ぶのを阻止しようとしていた。
千里が息を切らせながらアトリエまで駆けてきた。真樹との視線は怪しげながらも互いに何事もなかったかのような素振りを作っている。
「君たちの課題の採点をやり直すことにした。前日の詳しいことについては野永助手から話しがあるそうだ。それじゃぁ、千里君後を頼む・・・」
樫田は伏し目がちにアトリエを後にした。この日は終日教授室にたてこもるつもりなのだろう。
千里は事情を彼女たちに説明した。アトリエの中は重苦しい空気に包まれ、騒然となった。乙女たちの表情は相当にけわしくなっていた。千里の誠意ある口調に彼女達もすこしずつ落ち着きを取り戻している。千里は内心ホッとしていた。
「それにしてもねぇ・・・」
かおりは開口一番驚きをあらわした。真樹とひかるもそれに呼応して相づちを打っていた。真樹はしきりに千里の顔色をうかがっている。互いに正視はするが気持ちは不安でいっぱいだった。
突然、構内に救急車が二台とパトカーが三台進入してくる。学食でモデル二名が殺傷されたとの事であった。学内放送では緊急避難のアナウンスが流れる。犯人はまだ構内に潜んでいるらしい。
犠牲者が出たという知らせが千里の携帯メールに入った。
前田アンナと三島早苗の二人が学生風の男に切りつけられ、どちらかが腹部をナイフで刺され死傷したという。もう一人は腕に軽傷とのことだ。

六 ラベンダーカップル

「アトリエからすぐ出てください・・・」
刑事が女子学生たちを先導した。彼女たちも事の重大さを否応なく感じていた。
「道を開けて・・・」
アンナが担架で運ばれていた。大量の血液が腹部から流れている。女性の救急隊員が止血しようと懸命になっている。必死で蘇生を試みる。
救急車は急いで病院に向かった。
真理亜と亜希子が大学の構内にはいった時の出来事であった。他の清純寮のモデルたちは教務室に避難している。
「アンナちゃん。アンナ・・・」
「早苗・・・」
「どうして・・・」
「どうしたのよ・・・」
「だれか寮長に電話して・・・」
真樹が千里に事情を聞く。
千里は気が動転している。
「アンナさんが・・・」
千里の声が枯れていた。
「アンナさんがどうしたの?・・・」
「アンナさんが・・・」
真樹が再度詰問する。前夜の事が脳裏をかすめているがこの日は、人の生死の問題だ。「だから、どうしたのよ・・・」
「だから・・・大変なことに・・・」
「行こう・・・」
真樹はひかると共に現場に向かった。 早苗が泣きだしそうにマスコミの報道陣に事情を聞かれていた。
「ダメ、ダメ。下がってください・・・」
刑事がすかさず彼らを制止した。
学生たちの安全のためだ。まだ、彼らは構内で潜んでいる可能性が高かったからだ。
事件現場には警官と刑事たちが急いでロープを張っている。
明彦が血相を変えて駆けてきた。
「真樹。ど、どうしたんだ・・・」
「明彦、アンナが・・・」
「・・・。早苗ちゃんは?」
「いま刑事さんと話してる・・・」
「今日は聞かないほうがいい・・・」
「それもそうね・・・」
「あっ、寮長・・・」
ようやく愛子の車が到着した。
「アンナは?・・・」
「・・・」
愛子は勘が鋭い。その足で病院に向かう。「さぁ、一緒にお乗りなさい・・・」
半ば強制的に真理亜達を車内に入れる。間髪を入れず八人乗りのバンは急発進だ。
「国分寺の救急病院よ。急いで寮長・・・」「真樹ちゃん、分かってるわよっ・・・」  愛子はかなりのスピード狂だ。七十半ばとはとても見えない。明彦もあきれている。
後方からは白バイが追ってくる。
「しっかりつかまってるのよ・・・」
「寮長・・・ダメよ、無理しちゃぁ・・・」 スピードはグングンと増してくる。覆面救急車は時速百キロ近くはある。信号無視は数えきれない。
真理亜と亜希子は悲鳴を上げる。明彦は無理に平気をよそおう。真樹とひかる、千里は眼を閉じてじっとしている。
みんなは明らかに恐怖に陥っている。
「早く病院にいかなきゃぁ・・・」
歩行者たちも歩道から逃げ回る。愛子は車のナンバーはおそらく控えられているに違いないと思った。白バイが追うのを諦めた。
愛子がアンナを可愛がっていたことは誰もが認めるところだ。アンナの母、真智子と父のフランシス・カーターは岡本彩子と沖田総児とのつながりもあったからだ。
真智子夫人は美術大学の頃、沖田の学生時代の片思いの相手だった。彩子の事件があってからは真智子の人生はすっかり変わってしまう。彩子にも真智子への負い目はあったが運命の掟には逆らえない。
「真智子さんにどう言おう?・・・」
「とにかくだな・・・。おばちゃん、そこ右・・・」
明彦が愛子を誘導する。
「おばちゃん。運転うまいじゃん。あのタクシーのドライバーなみだぜ。怖れいったよ」 真樹が明彦を睨みつける。
「明彦。言葉に気をつけなさい。冗談言ってる場合じゃないでしょ。それに、おばちゃんはないでしょ?ちょっと馴れ馴れしいわよ」 真理亜と亜希子が苦笑する。
「悪かった、悪かった・・・さぁ着いたよ。サツが追いついて来たぜ。俺が運転したことにするから・・・。早く寮長と行きな・・・早く・・・」
明彦がいつになくナーバスになっている。亜希子も明彦の一面を見る。別にどうということでもないのだが、以前からなんとなく気にはなっている。亜希子が明彦を何気なく見つめる一瞬を真樹は見逃さなかった。真理亜とは別の異性に対する気持ちだ。ジェラシーの火花も気になるところだ。
病院の待合室は混みあっている。ERの緊急手術中の文字が続いている。
明彦が車から戻ってくる。
「どうした?・・・」
真樹が手術中の照明灯に指を差した。
「いま、ほら・・・」
「警官とはどうなったの?」
「いや、なにだいじょぶ。気にしない、気にしない・・・」
「気にしないって。罰金は?」
「なし・・・」
明彦とその白バイの警官とは何かあるらしいと真樹は疑っている。千里は何かを感じていた。あのアトリエの男と体形が似ていたからだ。
千里も質問する。
「おかしいわね。なにかあるんじゃ。心配させまいと気使ってるんでしょ?」
「それより・・・アンナちゃん・・・」
「分からないわ・・・」
愛子は気がそぞろだ。
「看護婦さん。どうなの?」
院内は慌ただしい。言葉をかけても返ってくる雰囲気でもない。
「おばちゃん、じっと待つしかないよ」
明彦も落ち着かないらしい。
三時間が経ち、手術中の照明灯が消えた。憔悴しきった担当の女医の脇坂咲子がむかってくる。
「橋本さんですか?・・・」
「ええ・・・」
「何とか一命はとりとめましたが、一晩ようすをみてみないと何とも言えません。ご心配でしょうが・・・」
「先生ありがとうございます・・・」
「今日は私たちが交代で見ておりますから」「いえ、ここにおります。私にとっては大切な子なんです・・・」
「そうですか・・・じゃぁ、みなさんに仮眠室をご用意いたしますから・・・。美園ちゃん手配して。男の人は待合室で・・・」
「明彦、ごめん。帰ってもいいのよ・・・」「何いってんだよ・・・。ここでいいさ」
真樹は亜希子の視線を気にしながら明彦に話しかける。
「明彦君も一緒でいいわよ。私のところへいらっしゃい・・・」
「どうも・・・」
早苗、真理亜、亜希子、真樹、ひかる、愛子の6人は美園に案内される。
仮眠室には十人ほど休める二段式ベッドがある。TVのニュースでは事件の一部始終が報じられていた。
「早苗。大丈夫か?・・・」

明彦は落ち着かない様子で動揺している早苗に声をかける。
「少し落ち着いてきたわ・・・」
「そうか・・・」
「でも・・・」
「でも何なの?・・・」
「いま思えば・・・」
「思い出した?・・・・」
「あ・・・やっぱりダメだわ・・・・・。
怖いわ・・・」
愛子が明彦をいさめた。
「そっとしておきなさい。
今日のところは・・・・ね」
真樹の胸に早苗が飛び込む。
「ごめん。ごめん・・・」
「思いっきり泣きなさい。私も付きあう」
愛子も胃が痛くなるほどの気持ちだ。やはりその時のアンナの様子が少しでも知りたいと思った。
「早苗ちゃん、辛いだろうけどあの時のこと話してくれない?」
「・・・」
「ゴメンね。やっぱりいいわ・・・」
「いいの・・・いつまでも黙っていても。もう平気よ・・・」
明彦がしつこく早苗に問いつめる。
「どんなヤツだった?」
「うん、確か学生風の男。浅黒くて気弱そうだったわ・・・。いつも私とアンナのダブルポーズのデッサンしてたわね。あの異様な目つきは明らかにノーマルじゃぁない。アーテイストの表情でもない。何かこう・・・」
「え、なにかこうって?」
「いつも視姦されているような」
「何かあると感づいていた?」
「良く分からないわ」
「そうか、で、そいつはアンナちゃんを襲ったあと大声をあげて出ていったって訳だな」「うん・・・」
「名前はわかるか?」
「わからない・・・」
「もういい加減になさい。もういいわ」
愛子は早苗の動揺を気にかけている。アンナの容体も気掛かりだ。
「なに、心配すんなよ。俺が捕まえてやる。さっきの白バイの警官は俺の幼なじみだ。今度はおびき寄せて現行犯で逮捕だ」
「ホントかしら・・・」
「まぁホントかもね・・・」
仮眠室は十人ほどは休める。

ニセ学生達はこのころ、原宿の有吉のアパートに身を隠していた。四人の額には大量の汗が流れている。
「大変な事に・・・。有吉、お前・・・」
「すまん。俺にも何であんなことしたのか分からない。誰かの締めつけもあったかもしれない。弱みを握られているから・・・」
「弱み?」
「あぁ、弱みだ・・・」
「なんの?」
「今は言えない」
「とにかく出頭したほうがいいかも・・・」「そうよ・・・」
「・・・」
「アイツのせいだ・・・」
「アイツって?」
「樫田先生だ」
「何だって?あの先生が。まさか・・・」
「有吉。ひょっとしてお前、真理亜くんの倒れたあのアトリエに関係してんのか・・・」「樫田教授の言いつけだ・・・」
小野が迷惑そうに言う。
「どうしてこんなことに。おれはただ興味本位で女の裸見たかっただけだったんだ。かかわり合いはゴメンだぜ・・・」
「なに言ってんのよ。教授に首ったけなのはあなただったじゃないの。もう遅いわよ」
早紀と純子が小野を諌めた。
有吉は三人に樫田との肉体関係を認めた。「まさか。いくら先生の世界に魅かれているからといってそこまでやることはねぇだろ」「・・・」
「そんなに俺を悩ましく見つめるな。頼むよ有吉・・・尻なんか貸してやれねぇぞ」
「下品な言い方、やめて・・・」
突然、四人の携帯電話に映像付きのメールが入った。
「誰?」
「この顔どこかで・・・」
「あの子じゃない?アンナ・・・」
画面いっぱいにアンナの眼が光る。じっと見ていると危険な事になるとはまだ誰も気づいていない。着信しただけで、その電磁波は男女を問わず、身体のいたるところを犯してしまう。
「怖い。消して・・・」
「消えないよ。電源が切れない。つながったままだ」
四人は仕方なくケイタイをバッグの奥にしまい込んだ。誰かがいたずらでもしているのだろうとみんなは楽観視している。
(どうせ、そうさ・・・)
彼らは有吉のアパートを後にした。有吉自身も経堂の実家に足を運ぶ。気はすすまなかったが原宿の狭い部屋には戻りたくないと感じた。父にもいつまでも隠し通せるものではない。いつかはバレることだ。決していい父とは言えない。だがどこかに自分を感じる。単なる血の継続の問題ではない。もっと別の何かだ。父の有吉梅吉は典型的な公務員だ。今では特殊法人での人員削減で窓際族的な存在になっている。ストレスはどんどん溜まるばかりだ。吐き捨てるような言葉遣いは日常茶判事だ。聖一が十歳のころ母は逃げ出してしまう。梅吉とのアブノーマルな性生活に絶えられなくなったからだ。聖一は事あるごとに梅吉にそのことを問い詰める。そのことでもののはずみで聖一は梅吉を殴ってしまう。「この野郎。やったな。親父を殴るとはな。呆れたもんだ・・・」
「悪かったよ・・・」
「それはそうと、お前やっちまったんだってな・・・」
「親父、どうして知ってんだよ?」
「噂だよ。噂・・・」
梅吉は明らかに聖一にウソをついている。 樫田とは旧知の仲だ。
小野和弘の父、光二郎、野添早紀の父、薫、脇坂純子の父、勇次は若いころ梅吉の悪友でもあった。樫田はカリスマ的な吸引力で当時かれらをうまく利用していた。
岡本綾子のときも樫田の提案で始まった。 数えきれないほどのレイプ未遂。性行為までは至らないが、気持ちの中では女たちを犯しまくっている。極端な現実と幻想の対峙は狂気を生むらしい。
「ずいぶん冷たいんだな。少しは気使えよ」「なんだと・・・」
二人の会話はいつも無機質だ。
有吉は自主するつもりで、小野や彼女達をつれて玉川上水を歩いてきたときだ。大柄の女がすれ違う。聖一の肩が女の胸の膨らみに接触していた。不可抗力なのでお互い暗黙の了解で許し合っている。弾力があって深みのある柔らかさだ。聖一はいつもの情欲を感じていた。父譲りの特異の体質は治りそうにもない。
顔立ちの上品な女は聖一とぶつかった胸の辺りを擦っている。一瞬座り込んだ。
「すみません。だいじょうぶですか?」
女は黙っている。
聖一はかがみ込んで女が大きなブラジャーの位置を直しているのが分かった。桃色の膨らみが振動を打った。視姦症は治りそうもない。男ならだれしも持っている、隠れているほどエロティックを感じる本能だ。聖一はぼう然とした。その女の胸の谷間の美しさに気を取られ、足を滑らして突然玉川上水に転落した。
幸いにも川の流れは緩い。昔は激流だったらしいが。大宰治が情死した頃はものすごい川の流れだったらしい。
「手を貸してくれ・・・」
「さぁ、つかまりなさい・・・」
女の手であった。
「ありがとうございます。何とお礼を言ったらいいか・・・」
「いいのよ。それにしてもここの道は狭いわね。気を付けましょう・・・」
「あの・・・」
「なに・・・」
「僕たちとそこの喫茶店でコーヒーでもいかがですか?」
「そうね。あなた服が濡れちゃって。可哀想に・・・」
「おい。行くぞ・・・」
たかの台駅前にようやく着いた。
喫茶オリーブという明るい黄緑とローズ色でまとめた店のインテリアだ。
「言い忘れたわ。私は岡本綾子」
「有吉」
「小野」
「野添」
「脇坂」
「よろしくね・・・」
妖しげな眼で彩子は彼らを見つめていた。彩子の感は当たっていた。彩子をそして最愛の沖田を襲ったあの悪夢に加担した男たちの分身がここにいる。表にまだ現れない遺伝子の活動が虎視眈々と出をうかがっているかも知れない。
それまでの調査で当時の男たちの顔と名前はすでに割れていた。彩子は今でも彼らを思い出すと寒けをもよおす。そう思うと彩子はますます恐ろしくなっていった。
沖田が唯一の癒しの場なのだ。全てが無になるしあわせを感じる。聖一の父梅吉は彩子の体をみて液を漏らす小心者で、その風貌は忘れることが出来ない。子もその宿命をおびている。
彼らの父親たちは未だに気持ちのどこかで当時の事件の重荷を背負っているはずだと心の中では期待したいが。そんな単純なものではないはずだ。もし、誰かの強い生き霊が天誅を下せたらいいという勝手な自分の本性を憎むわけにも行かない。
アンナの件にしても彼らが関わっていることに彩子には手に取るようにわかった。女の情念のシナプスが伝えてくるからだ。背筋がビビッとくるあの感じだ。
新聞では社会面の一段四分の一のスペースでしか報じられていない。たかだか二十行ほどのないようなのに彩子にとっては全十五段(新聞一ページ)が何枚あっても足りないくらいの濃い事実があった。女たちは益々生きづらい世界になる。絶えられないことだ。女の時代と世間ではいうが、力関係で言ったら男には勝てない。大抵の男たちは本音ではそう感じてるはずだと彩子は思っている。
何百何千という仮面を持ち、すきあらば首を取るという決死の覚悟を女たちは持たねばならぬ。日本の戦国時代の女たちは男たちの運命によって左右されていたというが、本当ではあるまい。戦いの勝ち負けで庶民の生き方が変わる。
武将たちに関係する彼女達は勝とうが負けようがどうでも良いことで、いつも敵将の生首を集め、いい男かどうか見極めるのが日常茶飯事のような気がしている。何時いかなる場合でも、勝った相手の男と手を組むか、自害するか、二つにひとつなのだ。仏門に入るという手もあるがそれは誰でもなれるものではない。それは世の中の歴史の動きを拒否し自分でなくなること。
要するに女を捨てる事だ。彩子は条件付きの自害派ではある。自害する前に相手も自害させる、眼には眼をというとらえ方だ。けっして泣き寝入りはしない。したくないと思っている。相手が沖田に謝罪するまでは。
早紀と純子が話しだした。
「オバさん、昨日変なことがあったのよ」
「いまでもよ・・・」
「どういうこと?」
「これを見て・・・」
彩子は画面を見た。二十代の女の顔だ。大きな眼を開いてじっと見つめている。
「誰なの?」
「それは・・・」
「分かりません・・・」
彼らは彩子にウソをついてはいるが、彩子はとうに見抜いている。
「消したらいいじゃないの」
「消えないの・・・」
「どれどれ・・・」
霊感の強い彩子にはアンナであることがすぐ分かった。画面を見つめていると、特殊な電磁波の色を感じた。金色とポンパドール色の光線が目に入ってくる。電磁波が女の声に変わった。同時にアンナの無意識による情念のパワーが彼らの体を徐々に変えていく状況も進んでいる。
(あなた彩子さんね。わたし今何処にいるんだろう。病院にいる自分の姿は見えるんだけれど。死んでしまったのかしら、わたし。怖いわ。もしそうだったら生き返りたい。まだやりたいことも沢山あるし。手伝ってくれる?)
(手伝ってあげたいけれど。わたしに何が出来るかしら・・・)
(とにかく今は話し相手になってくれる?)(良く分からないけれど、いいわよ)
(じゃ、あなたのケイタイにも入れさせて。電源はつけっぱなしでいいわ。充電の働きをするから大丈夫よ。私を襲ったかれらのケイタイも同じ。じゃ、また・・・)
「どうですか?」
「このままにしておいたら。そのうち治るわよ」
「そうよね。壊れてるのよ、きっと」
「そうだ、そうだ・・・」
「ところで。あなたちは何処の学生さん?」 有吉は西国分寺の関蔭大学の美術クラブで油絵をやっている。樫田の画風と人柄に魅かれ門下生となっている。小野は有吉の幼なじみだ。NGO関係の職員をしている。有吉の勧めでヌードの絵に興味をもつ。早紀はG女子大の経済専攻だが、世界の性研究のかたわら絵を学び始めていた。純子も同じだ。有吉の紹介で樫田の弟子になる。
「そうだったの・・・」
彩子も感じたことだが、彼らを哀れに思うときがあった。知らない自分の中の魔性と戦わなければならない宿命。有史以来、そのことは人の心の中に住みついている。宗教というスケープゴートの働きをする絶対的な世界を作れば当分は救われる。人類にとっては、すごい発明だ。権力や政治・経済活動、文化や思想活動等にいくらでも姿や形を変えられる。彩子は彼らと話していると自分もはあまり変わらないではないかと想えてきている。 そういう自虐的になる素直な自己の世界はまんざらでもないと沖田とは確認しあっている。
彩子と彼らは喫茶店をあとにした。かれらには何らかの隠し事をしている。早紀と純子の風貌が妙に男の雰囲気を感じさせていた。聖一と和弘は逆に体毛が薄くなっていくのもこの目でみている。彩子は彼らを尾行した。 四人は樫田のところへ足が向いていた。メールが届いていたからだ。依然としてアンナの画像は映ったままだ。みんなの目は既に慣れていた。
しばらくたって四人がそれぞれ自分の体を擦り始める。気のせいかといってその場は、気にしない素振りをみせる。内心は不安そうな顔だ。彩子はある予感を感じた。

彩子は四人が樫田のアトリエに入るのを見ていた。ケイタイが鳴った。アンナの声だ。(あの子たち、教授の家に入ったわね。ちょうどいいわ。まとめて・・・)
(まとめて?何なの?)
(みればわかる・・・。じゃぁ・・・)
(ちょっと・・・)
画面が消えた。
樫田は神妙そうに顔を出していた。
「すまん、有吉君。無理を言って・・・」
「いえ、俺も最初は抵抗あったんですけど、そのうちいたたまれなくなってきて・・・」「あれは全部使わせてもらったよ。ありがとう。これは私のほんの気持ちだ」
一万円サツが一束テーブルに置かれる。
「そんなつもりじゃぁ・・・」
「いいんだ。これで何処かの旅にでも出たら。パスポートだけ取ってくれば、手はずは整っている」
「どういうことですか?」
「暫く君らに姿を隠してもらいたいんだよ」「・・・」
「わたしたち、そんなに煙たい?」
純子が切りだす。
「そういうわけじゃないんだ。暫くの間だけだ・・・」
聖一は札束に眼がいっていた。
「わかりました。おい、しばらく先生の別荘にお邪魔しようぜ。ハワイはちょっと好きじゃないけどさ」
「そうしてくれるか。ありがとう」
突然聖一が嘔吐した。
「ちょっと洗面所にいってくる」
聖一は体の異変に気がついた。時間が経つに連れ胸が膨らみだしていた。体毛も薄くなってきている。おまけに男のシンボルがだんだんと小さくなり股間に割れ目が生じていたのだ。乳首を指で刺激してみる。妙な快感が体を覆った。体の中心が異物の挿入を望んでいるように思えた。聖一は発狂しそうになった。まだ声は抑えている。
小野が心配そうに聖一を見に来たが、小野の体も聖一と同様女性化の一途をたどっていた。互いに声も出ないほどの恐ろしさを感じていた。
純子と早紀もまた彼らとは反対に男性化が顕著になっていた。乳首は以前のようではなくなり膨らみがなくなっていた。自分で愛したクリトリスの影も形も男性の陰茎に変わり果てている。
一方樫田は部屋の書斎にいたが、すっかり老女と化していた。
一同は無言のまま顔を見つめあっている。「一体どういう事かしら?」と聖一の言葉遣いがアンバランスになっていた。
「そうね・・・」小野も同じだ。
「わからねぇ」
「俺もだ・・・」
早紀も純子も女言葉ではなくなっている。「とにかく。着るものを・・・」
樫田も女性化してきているので着替えなくてはならない。
男性化した純子達はサイズがきつすぎることはないので下着以外はそのままで大丈夫のようであった。
「人に見られないように車で服を買いにいきましょ・・・」
普段、風俗界で女装のアルバイトも経験した聖一だが、体が現実になってみると笑えるに笑えない。脳だけはかろうじて以前のままだが、予断は許さない。ホルモンバランスが完全におさまってしまったら取り返しがつかない。生き地獄だ。誰もがそう思っていた。 人目を忍んで聖一たちは婦人もの売り場にいく。聖一と和弘の二人は回りからみても完璧な女だ。誰も疑ってはいない。
特大のブラジャーは注文が必要であった。一段階小さいものを買う。パンティーはシルク。ストッキング・生理用品も買わなければならない。女は大変だと他人事みたいに思ってきたがいまは真剣だ。化粧品、口紅、髪染めシャンプーなどこまめに用意をしなくてはならないのだ。
「はやく戻ろう」
「ええ・・・」
樫田の家では純子と早紀が待っていた。教授は寝ているという。
「何をするの?」
「いや・・・」
早紀と純子は聖一と和弘を求め始めた。
(なんでこんなことに・・・)
元男たちは元女たちの執拗な攻めにあきらめ体を許していた。
四人は互いに男と女の感覚を体験したことになる。
彩子は異様な光景を終始のぞいていた。
アンナの画像ケイタイに届いた。
(こういう事だったのね)
(・・・)
画像はすぐ消えた。

病院では依然としてアンナが生死をさまよっていた。事件から三週間が過ぎた。
H美術大学では平静さを取り戻している。
清純寮のモデルたちはこの日は課題の最終日で気が張っていた。
無事一日が終わり、明彦の提案でモデルたちの慰労会を学食で開いていた時だ。
緊急の構内アナウンスが流れた。四人の不審者の侵入があったとのことだ。
真理亜と亜希子に女二人が猛然と襲ってくる。手にはナイフがある。
早苗は思い出した。この時アンナを刺したあのナイフであったことが判明する。
聖一は真理亜の胸元をめがけて進む。とっさに除けたが、今度は亜希子の背中が危険にいなる。明彦は必死に彼の両足に噛みついた。食堂内では大勢の悲鳴がとどろく。男二人は取り押さえられた。明彦の両目がナイフでやられている。かなりの出血であたりは血だらけだ。
失神した明彦は病院で手術を受けたが両目は不自由になる。同じ病院で入院している文也はアフガニスタンでの地雷で両手両足が不自由になっていた。時折真理亜は文也の思いをパソコンで手伝う。男と女としての芽生えもあるように感じるようになっていた。
不自由な体になってもいつもと変わらない文也に魅かれつつあったが男としてではけっしてない。亜希子以外はオアシスではない。亜希子は明彦に命を助けられた恩もあって、何とかしてあげなければという義務感が優先していた。
確かに自分に無理をして彼を一生支え続けていくのははた目には美談に見えるかも知れない。    明彦は失明はしたが、大学の計らいで専攻を彫刻のコースに変えていた。Webデザインは到底無理だからだ。一度だけ明彦が亜希子の体を触らせて欲しいと嘆願されたことがある。
亜希子はそれを許した。胸のあたたかな膨らみ、しなやかな脚部、つぶらな瞳、豊かな腰のくびき、感じやすい肩・・・。所要時間は一分だけだ。明彦は泣いていたという。亜希子にも戸惑いはあった。真理亜との一心同体は到底だれにも崩すことはできないとおもっている。いまのところは。それが崩れるときはどういうときだろうと無理に想像してもすぐそのイメージは消えていく。
聖一と和弘の二人はアンナがこの世を去ったあとも男に戻ることはなかった。
純子と早紀は元通り女になった。文也は大学病院の女看護師と結婚。明彦は早苗と歩んでいた。
明くる年の8月。大学院に進んだ真理亜と亜希子の二人は北海道の富良野にたたずんでいた。
ラベンダー畑のむこうには彩子と沖田が夕日に抱擁されている。
「ねぇ、亜希子。あそこまでいっしょにいこう・・・」
揺れ動く二つの影が彩子たちをとらえていた。

(了)

※2014年3月31日まで無料)

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